夫の友人夫婦と会った。結婚式に呼ぼうと思って夫が結婚報告をしたら、その友人も少し前に結婚していたことがわかり、互いの結婚祝いにかこつけて久々に飲もうぜという感じの会だった。同じサークルで知り合ったふたりは、式にあいつを呼んだけど遠方だしどうせ来ないだろうとか、あいつはこないだ子どもが産まれていたとか、共通のサークルメンバーについて話していた。
その中に、Aというたいへん性悪な奴がいて、夫はどうやって招待したものかと悩んでいた。食えない奴ではあっても、同じコミュニティの中で選り好みをするのが嫌で、苦手な人間であろうとも平等に声を掛けたいと。一緒に飲んでいた友人は、Aが来るというなら出席を考えるかもしれないと冗談ではあれど嫌そうにしている。その友人は「お前(夫)って博愛主義だよな。俺は自分以外の全員を敵だと思っているから、水に流せる気持ちがわからない」と言っており、ハッとした。
本来、夫はサークルの男女全員を招待しようとしていた。その中に元カノもいることがわかり、わざわざ喧嘩別れした元カノを呼ぶなんてどういう神経してんだ、来ることはないとしたってとっくに切れた元カレに結婚式に呼ばれることがどれほど不快かわからないのか、と強く窘め、男性メンバーのみの招待にしてもらった経緯があった。はるか昔に喧嘩別れしたどうでもいい男に呑気に招待状を送りつけられる元カノのことを考えるとあまりに不憫すぎるし、逆に元カノがめちゃくちゃ図太いタイプでしれっと出席してきて「えー、こういうタイプと結婚したんだ(笑)なんか趣味変わったね(笑)」だとか言ってきたらその場で離婚してしまうかもしれない。
まったく解せん。私にも元カノにも二重に失礼だし、救いようのないバカなのかこいつは、と憤っていたが、そのとき初めて博愛主義者なのだと知って腑に落ちた。夫はすべての人間のことがほとんど平等に好きで、過ちもいつかは水に流すことができると信じているらしい。一度嫌いになった人間を半永久的に憎み続ける私にその気持ちはわからないが、そういう人もいるんだ、と理解はできた。夫の友人はほぼすべての人間を敵とみなし、数少ない敵ではない認定をした人間とのみ交流をするらしい。私はそこまでではないが、好きな人間にしか興味がなく、ほかの人のことは心底どうでもいい。人間ってこうも違うんだ。当たり前だけど、結婚して家族になった人間ですらこんなにも違うとは。
飲み会のあとも夫は「仲のいい同期を呼びたいんだけど、あんまり仲良くない同期にどう声を掛けよう」とたいへん悩んでおり、ほんとうにこの人は根っから博愛主義なんだ、とびっくりした。「私は当日キャンセルされても許せるような、心から仲のいい人しか招待してないよ」「でも、少人数のコミュニティでひとりだけ呼ばないとかしないでしょ?」「大学の同期3人のうち、いつも一緒にいためちゃくちゃ仲良かった2人だけ呼んだよ」「え……それほかの2人になんか言われない?」「言われたけど、その子は私とは仲良くなかったし、好きじゃない人間に興味ないから」「え、そんな人いるんだ……」と私に怯えながら夫は席次を考え直していた。こうも違う人間が家族になれた不思議さと、正反対だから噛み合ったのかもしれない尊さを、忘れてしまう前に書いておく。