夫が半額のそら豆を焼いて出してくれた。そら豆、はじめて食べるかもしれない。実家で出なかったから。26歳にもなってまだ食べたことがないものがある、というのは喜ばしい。すべて知り尽くしてしまったらつまらないはずで、未知のものが多いというのはうれしい。薄皮をむいたそら豆は焼き栗の味がする。イタリアの街角で買った焼き栗を思い出した。アイスのコーン状にくるっと丸めた紙みたいのに入ったやつ。味は忘れたのに、皿がわりの紙のざらつきと、あたたかさを覚えている。焼き栗の味だねというと「栗に似てるという意見は初めて聞いた」と夫。こんなにも焼き栗なのに。平たい塩を潰してかけながら黙々と食べた。夫は缶ビールを必ずグラスに注いでくれて、あ、育ちがいいひとだ。と必ず思う。思うだけで言わない。こんな土曜日、しあわせだなあと思う。そっちはちゃんと言う。
チャットモンチー「majority blues」を聴いて、初めて行ったライブハウスのことを思い出す。高校生だったか大学生だったかは定かでないけど、もっさりとした黒髪を伸ばして全然垢抜けていなかったのは覚えてる。そのことが恥ずかしく、でもどうしたらいいかわからなかったことも。無料のサーキットライブのようなものに出向いたら、薄暗く狭いフロアにはなんらかのクリエイターにしか思えない30代ぐらいの大人たちがかたまって内輪の会話をしていて、間違えたかもな……と思った。ライブハウス初心者が最初に来るのにふさわしくないことは私にもわかった。若者がたくさんいるZeppのようなハコから行くべきだった……と肩身を狭くしながら、ジンジャーエールをちびちび飲んだ。胡散臭い大人たちと、大音量の音楽と、タバコの煙、プラスチックカップに入った酒。それが最初のライブハウスの思い出だった。荒療治といえばそうで、次からどんなタバコくさいハコにも飛び込んでいけるようにはなった。苦々しい筆下ろしの記憶。