あおいろ濃縮還元

虎視眈々、日々のあれこれ

死んでもいいと思いながら踊った

踊るつもりはなかった。6月29日、代々木第一体育館、大好きなバンドのライブ。最高気温は41度にものぼるという暴力的な猛暑にくわえて、花粉症とPMSであんまり体調も万全じゃない。そろそろ無茶がまかり通る年齢でもない。徹夜明けでモッシュピットに突っ込んでいた頃の私では、もう無いのだし。無茶すんなよお前の意味を込めてバンTじゃなくてノースリーブのコンビネゾンなんか着た。

でもちゃっかりコンバースを履いていた時点でたぶん踊りたかったんだと思う。

 

楽しみ楽しみと言っていたわりに、まるで勉強をしなかったテスト当日みたいに、不思議と実感がなかった。初めての新幹線に乗っても、フォロワーに次々会っても、フラワースタンドを目の当たりにしながら会場入りしてもまだ、多少の実感はあれどふわふわしていたと思う。どこか雲の上を歩いているみたいだった。

 

会場BGMが消え、客席の照明が消え、SEが流れはじめたらあとはもう夢中だった。頬の筋肉と涙腺があからさまにゆるむ。気がついたらめいっぱい手拍子を送り、右手を振り上げている。変に気負うこともなく、ただ目の前に差し出された曲を、全身で素直に受け止められている気がした。どんなビートにも思うがまま肩を揺らし、ぴょんぴょん跳んだ。

 

代々木第一体育館じゅうを踊らせる彼らを見て、私もまた踊りながら思ったのは、「私もこうなりたい」ということだった。彼らが音楽で心も身体も踊らせてしまえるように、私は私の方法で、だれかの心を揺さぶりたい。心を踊らせたいし、ずっと記憶に残り続けたい。彼らのようになりたいし、あわよくば彼らと仕事がしたい。カッコイイなあ、羨ましいなあ、と思った。社会に出て変にカッコつけるようなつまらない大人になってしまったのが自分でもわかっていて、でもそういうのはきっぱり辞めたかった。何かと言い訳をつけてずるずる先延ばしにして、こんなんでいいと思ってるわけない。ああなりたい、じゃなくて、なる。そう決めた。

 

オドループで私は、死んでもいいと思いながら踊った。小さなライブハウスで、人で揉みくちゃになりながら、汗のにおいと熱気にまみれて必死に手を振り上げていたあの頃。その時とまったく同じように、ただ必死で踊った。両隣に人がいないアリーナなのに。暑くてしんどかったのに。いい大人なのに。でもそういうの全部笑っちゃうくらいどうでもいい。無茶が祟ってこのまま死んでもいいと本気で思っていた。昔から、幸せの絶頂にいるとき、このままぽっくり死んでしまいたいと思う。幸せだった。あの瞬間、とてつもなく。そういうふうに思えたことが嬉しくて、そんな感情を生み出させてしまう彼らが羨ましくて、たくさんの強い気持ちがごちゃまぜで、汗だくでただ踊った。

 

花粉症由来の咳を必死に堪えていて、あまり覚えていないのが残念だけど、武さんが仰っていた「今日の公演を10年後に見返しても全く同じ感動は得られない、だから今日のことを覚えていたい(とても意訳)」といった言葉に胸打たれて、それでは私も今日思ったことを忘れないうちに、美化せずに、書こうと思った。ライブで起こったことのみを感動的になぞることもできるかもしれないけど、美談じゃない感想を書きたかった。

 

帰りの電車、頂いたさまざまなお土産やグッズをかばんにパンパンに詰めて、夕飯作りたくないからって家で食べる駅弁まで持って、明日働きたくないなあと思いながらこれを書いた。食べすぎてお腹が張って痛い。