地震速報のアラームを聞きながら思い出したのは9月のことだった。北海道で起きた大きな地震、被災という被災をしたわけでもないけれど、あのときのことは一生忘れないと思う。
明日の朝は目覚めないかもしれない。知らぬ間に津波の濁流に飲み込まれるかもしれない。瓦礫の下敷きになっているかもしれない。絶対に生きてやるという気持ちと、明日死んでも一切の悔いがないようにしようという相反する思いを強く抱えたまま過ごした数日間を忘れない。
もっと生きたい。でもいつでも幸せに死ねる。そう思って遺体確認のために特徴的なピアスと指輪をつけて過ごしたことを。私はあのとき、ほんとうに、死ぬ覚悟を決めたのだ。
昨夜、街灯の少ない夜道をひとり歩いていた。ポケットのなかで音が爆発した。取り出したスマートフォンが、地震速報です強い地震にご注意くださいとけたたましく叫ぶ。なにが起こったか把握する隙も与えずに、街路樹が強く枝を揺らしはじめた。あ、死ぬかもしれない、と思った。木と街灯が倒れてこないように気をつけながら、家までの道をひた走った。
結果からいうとなにもなかった。倒壊も怪我もない。無事だったけれど、こないだの地震がわりとトラウマになっていると気づいた。警報音を聞いたとき、心から死を覚悟したあのときのことがまざまざと蘇ってきた。
このまま何事もなければいい。そう思いながらも寝つけなかった。死について考えた。もし私があっさり亡くなったとしても、SNSで繋がっている友人たちにそのことを知らせる術はない。なんか呆気なくてさみしい。
ただ、もしいま死んだとしても悔いはないと思った。やりたいことはまだ無限にあって、せめて還暦までは生きるつもりだけど。でも。環境や人間関係にすごく恵まれて、好きな音楽に夢中でいられて、好きなことに打ち込んでいられて、もしこのまま目覚めなくても特に悔いもなく幸せに終われると思った。そのことに気づけたのは大きい気がする。
まだ怖いことに変わりはないけど、精一杯やるから。幸せだから心配すんな。ね。自分でもなにが言いたいかよくわからないけど。あいつのことだからどうせしぶとくやってるだろ、って思っといてもらえれば嬉しいです。
あおでした。