サービス業なので、世間でいうゴールデンウィークは連休がひとつもなかった。代わりに平日のライブに難なく行けるからそれはいいんだけど、遠方から来てゴールデンウィークを満喫しているお客さんたちを毎日毎日相手にしていると、私もどこか出掛けたくなって、羨ましくて仕方なくなってきた。
仕事終わり、近場でいいからどこか行ったことのないところに行きたい、と駄々をこねて近場の中華料理屋に連れていってもらった。引っ越してきてから1年ほど経つが、出で立ちが怪しすぎて入るに入れなかった店。崩れ落ちそうにぼろぼろの町中華みたいな怪しさじゃなくて、なんていうか変な豪華さとくたびれ度合いが掛け合わさって、飲食店というより田舎のラブホテルっぽい。
おそるおそる入ったラブホめいた店には家族連れと老夫婦がいて、店員さんたちはバラエティ番組を見ながら中国語で何か話し、福山雅治が出ると嬉しそうにしていた。注文しようとしたカニチャーハンが切れていて咄嗟に頼んだ天津飯が大正解だった。白飯を分厚く覆うふわふわの卵、たっぷりかかった濃い餡。今まで行った中華料理屋の中で最も美味しかった。体調を崩しがちでオフになっていた食欲のスイッチが一気に振り切れて、ラー油みたいなので和えた砂肝、キャベツがぎっしり詰まった春巻き、桃まん、彼氏のぶんの焼きそばまで取って食べた。たらふく、という形容詞がうってつけなほど食べた。
帰ってからも天津飯の余韻はあとを引いて、天津飯おいしかったね、今まで食べた中華のなかでいちばんおいしかった、とうわ言のように少なくとも5回は言いつづけていた。夢に出そうなほどおいしかったが、その日はハワイへ新婚旅行に行って揉める夢を見た。天津飯の夢が見たかった。
一夜明けて今日は休み。前から気になっていた、山の中にある書店に行くことにした。道中、水を引いたばかりの田んぼは鏡のように光り、凪いだ川が青く青くきらめいて横たわっていた。Spotifyで流していた洋楽を止めてスピッツに切り替え、車の窓を開けて新鮮な空気を吸った。全身に満ちる酸素が新鮮に入れ替わっていく心地がする。
古民家を改修した書店には、靴を脱いで上がる。畳を久々に踏んだ。音楽にまつわる本、ご飯についての本、ビジネスやお金に関する本、詩集や短歌の本を集めたコーナーなどなど、こだわって集めたであろう本たちが著者名順ではなくジャンルごとにかたまって置かれている。短歌の棚でしばらく悩んで、木下龍也の『つむじ風、ここにあります』を買う。会計するときに話しかけられて嬉しかったが、人見知りだから嬉しかった感じをちゃんと出せていたかわからない。ささやかな会話だったけれど、都会ならともかくこの辺りで木下龍也の話ができることがすごく嬉しかった。
家に帰ると17時頃で、まだ日が高かった。貰い物の良いソーセージを焼き、これまた北海道の母に貰ったサッポロクラシックを冷やしたグラスに注いで乾杯した。明るいうちから飲む酒ほどいいものはない。旅行とか私もしたいなあ、いいなあって思ってたけど、たぶん旅行自体がしたいというより普段とは少しだけ違う満ち足りた体験を望んでいただけで、中華料理屋と書店に行っただけで爪先まで満たされてしまった。連休などなく、旅行など行けないけど、すばらしく幸せ。冷蔵庫のぶどうかピンクグレープフルーツのどちらを食べようか迷いながら筆を置く。