美術館へでかけた。ミロの名前がジュアンだったかジョアンだったかも定かではなく、なんかあの可愛い抽象画みたいの描いてる人だよねというレベルのうっすい状態でミロ展を観た。私は印象派が好きで、それはたぶん印象派の人たちがジャポニスムに影響を受けたせいであり、だから印象派でなくとも日本を愛したというミロの絵もきっと好きになれるだろう、というむりやりな三段論法のもとに。コレクション展とショップを含めて1時間ちょっとしか観る時間がなかったため、人が群がっているところの解説はすっ飛ばして、空いているところだけつまみ食いのように鑑賞した。
ミロの絵は全体的に、可愛らしい抽象の人物画、という感じ。クレヨンで描いた子どもの落書きみたいなものがあり、おならや女性器をテーマにした作品があり、扇子をエキゾチックに描いたり、習字に影響を受けた墨汁をこぼしたような絵や、浮世絵をそのまま貼り付けてコラージュした絵もあった。パッと見てわかるものもあれば解説を読んでもわからないものもあった。解説と絵を交互に凝視していたおじいさんが、降参したように「わっかんねえ……」と独りごちていた。でもそれでいいんだと思う。わかりやすいものだけが優れたものではないし、仮にそう思っていたなら私はUNISON SQUARE GARDENなんて好きにならない。
私は美術館賞が好きだけど、全部わかる必要なんてないと思う。ほんとうに。作者の歩んできた人生、生まれた国の情勢、その時期の美術史の流れや表現技法のことを、学べば学ぶほど楽しいのは確かだけれど、なんにもわからなくてもパッと見ただけで印象が伝わるのが絵(作品)だと思うし。なんかわかんないけど可愛いなーとか、よくわからんけど怖い感じのする絵だなあとか、そういうのでいい。何を描きたいのかすらわかんないけど、難しいことを考える人がいるもんだなあ、というのも感想のひとつだと思う。わからないから考える。わからないからそこに至った過程を想像したり、調べたりする。結局答えは見つからなくて謎が深まるだけかもしれないけど、これはもしかしたらこういうことを言いたかったのかもしれない、という考察が生まれる。ミロとは全然関係ないんだけど、UNISON SQUARE GARDENというわかんないバンドを好きになってから、そんなふうに「わからない」を楽しめるようになった。だから、半分くらいあったわからない作品も想像の余地があって楽しかった。
この記事が響いた人はUNISON SQUARE GARDENの「流星のスコール」を聴いてください。「mix juiceのいうとおり」でもいいです。