春に呑み込まれる気配がする。一日中寝ていた。息継ぎするようにすこしだけ起きて、また眠って、一日中。急にあたたかくなった気温に、きっとからだが順応していない。花粉のせいか喉の調子もよくない。ディアマンクッキーの甘いざらめき、お茶の苦みが、やさしく尾を引くように疲れたからだを癒していくのがわかる。
去年、1年間の日記をつけた。とても楽しいことではあり、有益ではあったけど、きっともうしないと思う。私だけの手に負えないことがこれから、きっとずっと増えていく。そのことをこわいと思った。自分だけを大切にしていればいい年齢ではいつの間にかなくなっていて、若さゆえの無鉄砲さが失われていくことが、少しばかりこわい。今がかけがえのない時間だと知っていて、そのことを失いたくないとこわがるのは、中学生の頃から変わっていない。一生こうなんだろう。
普段ぐいぐいと自由に生きている私は、あまり外野に将来を急かされることはないが、きのう近所の人にそれとなく子どもの予定を聞かれて、ああ、そうか、と思った。傷ついたわけでも嫌に思ったわけでもなく、ただ、ああそうか、と思った。私はもうそういう年齢に差し掛かっている。覚悟だけがまだない。子どもはいつか育てたいと思うけれども、子を持とうと決意することは、断頭台にみずからの足で向かっていくような心地がする。なぜだろうか。
Twitterで書いていた読書記録も、なんだか急にこわくなって、今年はつけるのをやめてしまった。いまは村上春樹「海辺のカフカ」下巻を読んでいる。小説の世界にぐわっと没入するこの感覚は久々で、上下巻あわせて1000ページ近くあるのに読んでも読んでももっと読みたいと思うのも久しぶりのことだった。この2ヶ月であと読んでおもしろかったのは、寺井奈緒美「生活フォーエバー」東ひかり「小さな機械」堀井和子「早起きのブレックファースト」。映画では最近ようやく観た「グリーンブック」もおもしろかった。
気まぐれにまたここへ帰ってきたい。