予感はいくつもあった。だけど気づかないふりをしたくて、もしかしたらレコーディングをしているのかもしれないとか、むりやりに考えるようにしていた。でも、やっぱり、そうだった。そのことについて今は真正面からは考えられない。何もきかないでほしい。何も言わないでほしい。頭では、理屈のうえでは納得しているし、私がその立場に置かれたとしても同じ選択をするとは思う。だけど心がぜんぜんついていかなくて、心と体がばらばらになりそう。その時が来たらもっとちゃんと受け止められると思っていたのに、ぜんぜんだめで、私はこの10年間思っていたよりも深く彼らのことを愛してきたんだとわかって、そのことすら今は痛みに転じている。
ICカードも対応していないような田舎の駅まで遠出してあまりの何もなさに途方に暮れたり、前後不覚になるまでストロングゼロなんかを飲んだりして、いっそめちゃくちゃになりたいと思った。どこにも飛びやしないのに空港へ行ってみようか、とか、実際にからだは痛くならない方法で傷つきたかった。でもそれが幼稚なやりかたで、なんの解決にもならないとわかるぐらいに私は大人になりすぎた。もっと健康的なやりかたで悲しみたい。正確には、心を平たくならして悲しみを受け止める準備をしたい。スーパー銭湯で一日中過ごすとか。マリオの映画を観てファミリーだらけのフードコートで醤油ラーメンを啜ったりだとか、そういうので。味がわからないままうどんを食べ、皿を洗い、湯船に浸かり、ホットアイマスクをして寝た。
朝はやくに起き、ペーパードライバー講習を受ける。すこし腫れた瞼はストレスで痙攣していたが、車に乗り込むとおさまってくれた。2度目の講習、公道を走る。前回は教習所の中を走るだけでもやっとだったのに、60km出して国道なんか走っている。アクセルの踏み方やブレーキを段階的にかけることや右や左に寄りすぎること、そんなことに没頭しながら50分運転して、すこしは気が紛れた。だけどやっぱり「気が紛れた」でしかなくて、根本的に解決するにはやっぱり悲しみ尽くすしかないと思った。現実に痛いぐらい向き合わなければいけないぶ厚い本を読もうと思い、朝井リョウ「イン・ザ・メガチャーチ」を買おうとして、金原ひとみ「踊り場に立ち尽くす君と日比谷で陽に焼かれる君」という単行本が目にとまる。はじめて見るその本の寂しいタイトルに惹かれ、その激しい文章に引き込まれて、こっちを買うことに決めた。さっそくスタバに入り、グランデサイズのアイスコーヒーを飲みながら、読む。平日昼間のスタバは私のセーフティプレイスで、ここに来れば店員さんは無条件にやさしくしてくれる。パソコンをひとり叩いているノマドワーカーか世間話をしている主婦ばかりしかいない店内はとても心地いい。金原ひとみはパリ在住時のエッセイを少し読んだことがあるだけだったけれど、今はこの激しさがありがたくて、間接的にでも慰められる。そう思っていたら「永遠に彼が好きなまま永遠に彼を諦められないまま、彼のいない人生を歩み続けなければならないことを、そんなの無理だと思いながら少しずつ覚悟していかなければならないことに、その途方もなさに絶望していた」という一文にガンと頭を殴られたようなきもちになる。このフレーズに導かれるようにして手に取ったのかもしれない。
酒を飲みたかったけれど、強いアルコールではなんの解決にもならない。事実上はやけ酒なんだけど、やけ酒じゃなくてばかばかしいような気持ちになりたくて、台湾のパイナップルビールを一本買った。ついでにもっとばかばかしいものが欲しい。綺麗になりたいわけでもないのにチョコラBBスパークリングと、じゃがりこ鶏皮うま塩味のLサイズ、ちょっと迷ってからパラドゥの、ぎらっぎらのグリッターがはいったゴールドのマニキュアも買う。日焼け止めを塗っていないうなじがじりじり熱い。薄いエコバッグの中でチョコラBBスパークリングとパラドゥのマニキュアの小瓶がぶつかり、カチャカチャというよりはチャリチャリのような安っぽい音をちいさく立てた。うすいピンク色だから、というだけの理由で買ったチョコラBBを一気にのむ。本棚にあった岡野大嗣「音楽」を読んでいたら、悲しくもないのにぽろぽろ涙がこぼれた。洗濯機をまわして、いつもはうるさいから閉める脱衣所のドアは今日は閉めない。ずっと楽しみにしていたあさってからの旅行を、きっと心からは楽しめないだろう。何をして何を食べても「気が紛れる」にしかならないかもしれない。だからそれまでにありったけ悲しみ尽くしておきたい。そんなノルマみたいにいくもんじゃないが。今日はこれを書いたらスマホを放り投げて、じゃがりこを食べたり激しい本を読みあさったりパイナップルのビールをのんだりリングフィットアドベンチャーをやりまくったり長風呂をしたり爪を金色に塗ったり手羽元が染み染みになるまで煮込んだりホワイトデーにもらったとっておきのホットチョコレートをのんだり、とにかく好きなことをしたい。いつもなら寂しさを慰めてくれる音楽は、今はまだきけない。他人を愛してきたこの10年間と、私の悲しみは私だけのものだ。