あおいろ濃縮還元

虎視眈々、日々のあれこれ

ラフスケッチ

ナウシカを観た、人生で初めて。みんなが当たり前に嗜んでいる物語を知らない、というのは教養が足りないようで恥ずかしかった。札幌シネマフロンティアに、直通エレベーターではなくエスカレーターで行くのが好き。グルメフロアから映画館のフロアへ続くエスカレーターをのぼるとき、一気に暗い空間へ突入していくあの感じが特に。夜空へ飛び込んでいくみたいでどきどきする。いちばん後ろの左端に選んだ席は、前に座席がひとつもなく、代わりに延々とひろがる階段があった。ポップコーンのひとつもこぼせば取り返しがつかないほど転がっていくだろう。

 

映画はとてもよかった。子どもの頃じゃなく、大人になってから観ることができてよかった。でも風の谷の人たちと同じように、ハッピーエンドだと心から喜ぶことはできなかった。痛みも苦しみも、自分以外の何かのために押し殺してきた彼女が、あのような偉業を遂げてしまったことで今後どのような扱われ方をするのか、考えただけでゾッとした。一国の姫である以前に、そして降り立った救世主である以前に、彼女は痛みも苦しみも感じられる普通の人間であるのだ。なんの疑いも持たず、崇められるべき者として神格化されていく過程が本当に怖かった。ただ、ナウシカの本当に強いところは、そして唯一救いであるのは、ユパ様にだけはきちんと弱音を吐けることだと思った。

 

バイト前に重たいものを観てしまったなあ、と思いながら適当な喫茶店に入る。生理中でカフェインを控えていたので、デカフェのアイスコーヒーを注文した。デカフェは思ったよりも世に普及している。生理痛の悪化を気にせずコーヒーが飲めるのは幸せであるが、デカフェのコーヒーというものは一様に味が薄い。低脂肪乳でめちゃめちゃ薄めたコーヒーみたいな味がする。コーヒーにおいて私が好んでいたのは、カフェインの部分であったようだ。

 

これまた適当に買った「いくつもの週末」を読む。どうやら私は江國香織の、小説よりエッセイが格段に好きらしい。江國香織の文章には名前が書いてある、と思う。日常のどんなありふれたワンシーンを切り取っても、色つきのサングラスを掛けたように瑞々しく見える。レジのすぐ近くの席に座ったから、夢中でページをめくる後ろで、男の店員さんの声が聞こえる。アイスとホットのどちらがいいのか落ち着いたトーンで伺い続ける店員さんの声は、よく聞けば、大学で日本文学を教えていた教授の声によく似ていた。教授が嬉嬉として語る太宰治を私はあんまり好きじゃなかったけど、自分の好きなことを落ち着いてゆっくり語るその声が妙に心地よくて、2年も立て続けにその教授の講義を取ったのだった。

 

まだ何もない休日に出歩く勇気はなく、バイトでどうせ街に行くからと無理に詰め込んだ予定であったけれども、誰のためでもなく自分ひとりのためだけに睫毛を跳ねあげてお気に入りの服を着て、興味のある映画を観て喫茶店に入って本を読んで、そんなことで私は孤独に潜水していた深海から浮上できたような新鮮な気持ちになっている。