音楽を聴くとき、私はメロディーや声より、歌詞をなにより重視する。
個人的に 「この曲の歌詞カードを眺めるだけで白飯何杯でもいけちゃう」 という曲を5つ(厳密には6曲)集めました。
- 「ワンドリンク別」 マカロニえんぴつ
- 「エイプリル」 mol-74
- 「西藤公園」 back number
- 「煙」 Saucy Dog
- 「運命」 「幻」 My Hair is Bad
このような順でお送りします。
1. 「ワンドリンク別」 マカロニえんぴつ
タイトルの 「ワンドリンク別」 とは、ライブハウスにおいてチケット代とは別に徴収されるドリンク代のこと。この曲はなんと、ライブハウスを思わせる比喩を使ってセフレとの関係を歌っている。とんでもない発想。いや "ライブハウス" と "セフレ" でどうダブルミーニング踏めるの?って感じだけど、歌詞を読めばわかる。
まず冒頭の 「恋ではない 恋ではない 恋ではない 願ってない関係は」 という歌詞で、この曲に登場する男女は恋人ではない大人の関係なんだと推測できる。
「のれればいい のれればいい 飲めればいい 酔えればいい 踊れればいい 思ってた通りのワンドリンク別」。ここだけ切り取るとただのライブハウスの歌にも思えるけれど、先ほどの状況を踏まえると、「のれればいい」 とは文字通り音楽に 「ノる」 ことと、もうひとつ 「乗る」 のダブルミーニングになっているとわかる。何に 「乗れればいい」 のかは察してください、大人のみなさん。
これを踏まえると、ここからの怒涛の暗喩に震えることになります。「暗がりでどうかごまかしてよ いつまで経っても埋まんないフロア」 では動員の少ないライブハウス/埋まらない心に対する空しさ、「繋がり合って転換で冷めて また会えたってなんもないのに」 では対バン相手/セフレとの馴れ合いの虚しさを感じる。
「遊びじゃないよ本気でもないよ ノルマのある日は会いにゆくね」 と結ばれる2分にも満たないこの曲は、売れないバンドや愛のないセフレに感じるむなしさを同時に歌っている。そんな鮮やかなことある?はっとりさんが君が好きと言ってた映画を16回みるならば、私は『ワンドリンク別』の歌詞だけで白飯16杯食べられます。
2. 「エイプリル」 mol-74
大人の関係を歌った曲のお口直しに、春風が頬を撫でる切なくやわらかい失恋バラードを。
「綺麗な映画を観たあとにふと君を思い出した」 という一節から曲は始まる。いつか別れた恋人のことを思い出す引き金は、「悲しい映画」 でも 「切ない映画」 でもなく 「綺麗な映画」 であることから、"君" との想い出は痛みを伴うような生々しいものではなく、すでに綺麗な想い出として風化し始めているのだとわかる。
うじうじと失恋の傷をこねくり回すようなことはしない。言わない。だけど、だからこそ 「いつもいつまでも続いていくような気がしていた午後」 「奇跡のように出会って 必然のように別れて 映画みたいにいかない結末に僕は」 と端的に語られるフレーズが沁みる。深くは語られないその情景に、想像の余地はひろがる。
ひとつの無駄もないシンプルでいて詩的な歌詞と、美しい歌声やメロディーが相まった、聴くタイプの短編フィルムのようなこの曲。イチオシです。吹き込んでくるぬるい春風に吹かれながらベランダで白飯食べます。
3. 「西藤公園」 back number
春風のつぎは、つめたい冬の空気が鼻の頭を掠めていく片想いソング。
前に出てきた2曲にも通じることだけど、名曲は冒頭の一節からしてもうぐっと惹き込まれる。「「私は冬が好き 言葉が白く目に見えるから」」。主人公が想いを寄せる "君" がなにげなく零した言葉は、この曲の全編を通して白く尾を引いていく。
「今君を抱き寄せて大丈夫って言えたら何かが変わるだろうか」。隣にいることはできても、抱き寄せることもかなわない、もどかしい関係性がサビで浮き彫りになる。「伸ばしかけた腕に君は気付いてるかな」。個人的には、気付いてて知らないふりしてるんだと思うなあ。どうでもいい男と夜の公園でふたり星を見上げるだろうか。頑張れ。
「少し遠回しに なるべく素直に言うよ 次の春にでも」 と歌いきったあと、「私は冬が好き 僕は君が」 と余白を残してこの曲はしずかに終わる。"僕は君が" なんなのか、次の春と言わず今抱き寄せて言っちゃえばいいのになあ。もどかしさに白飯10杯。
4. 「煙」 Saucy Dog
サウシーの切ないラブソングといえば『いつか』『コンタクトケース』が挙がると思うけれど、その2つも機会があればじっくり紹介したいほど珠玉だけれど、私の推しメンは『煙』一択だ。
語りかけるように 「「私達ね、もう大人だからね 好きなだけじゃ一緒にいられないのはもうわかってるよね?それじゃあまたね?」」 と "君" に別れを告げられるシーンで幕を開ける。
「使われなくなった白いハイヒールも 日に日に減った休みの日の外出も」。よそいきの白いハイヒールでデートに行くこともなくなった、惰性で続くような関係性に "君" はきっぱり終止符を打つ。
告げられた別れを飲み込めないと思いながら、そんな言い方ずるいって思いながらも 「好きじゃなくなったら、すぐに言ってね なんて冗談半分で、言うんじゃなかったなぁ」 「その瞳にはもう僕は写っていないんでしょう?きっと、ずっと 分かってたよ」 と、目を逸らしてきたけれど目前にあった別れを少しずつ、少しずつ受け入れていく。
切ない。あまりに切ない。『煙』を聴いたひとたちの涙を固めて作ったふりかけで白飯20杯掻き込みます。
5. 「運命」 「幻」 My Hair is Bad
5選と銘打っているくせになんで6曲?と思っているかと思いますが。両A面シングルとしてリリースされたこの2曲は、どちらか一方だけでは語れない。アンサーソングなんて生ぬるいものじゃない、2曲揃ってようやく本領を発揮する、ひび割れた合わせ鏡みたいな対の歌なのだ。
『運命』は、別れ話のシーンが男性目線から描かれる。見慣れない短い髪をした君。気まずい沈黙の流れる喫茶店。いつもすぐに泣いてしまう君は、怒鳴っても睨んでも泣かなかった。どうしようもなく、僕は終わりを悟る。
「立ち上がる僕の手を掴んで その拍子にグラスが落ちた」。触れるだけで胸が痛んでなにも言えなくなった "僕" は、「指に触れるだけで胸が高鳴ってた そんな二人はいつが最後だったろう」 とふと想いを馳せる。
振り返りもせず店をあとにした "僕" は、この別れは必然だと受け入れながらもひとつだけ気にかかったことがある。「最後の最後で本当はね聞きたかったよ 硝子の破片を拾いながら床を拭く君の手に目を疑ってた どうして指輪外してなかったの?」。
転じて『幻』は、恋人と別れた女性目線で綴られる。「「もしもあの時泣いてたらどうしてた?」」。そう、『運命』に出てくる "僕" の相手は『幻』の主人公だ。
髪を短く切って、泣かずにきっぱり別れ話をしたこの女性は、それでも別れたあとも夢に見たり、「怒ってよ 振り向いてよ 嘘をつかないで傷付けてよ」 「「でも、もしもあの日に戻れたら」ちゃんとわかってあげるから」 とまだ未練を握りしめている。
ここで。さりげなく差し込まれる 「指輪に気付いてくれなかったね」 という歌詞で、背筋が凍る。別れ話をするとき嵌めていった指輪に、気付かれなかったと思っている、ということが2曲を並べて聴いているリスナーにだけわかる。
別れてしまったのは必然でも運命でもない。ただひとこと伝えれば変わっていたのかもしれないことを、必然だと諦めて怠った積み重ねの結果だ。その指輪、と声を掛けていれば何かが変わったのかもしれない。いや、別れ話に発展するずっと前から、もっと対話をしていれば、エンディングは変わっていたかもしれない。
『運命』『幻』を重ねて聴けば、切なさで米俵ごと炊けちゃう。しんどい。
ここまで読んでくださったらわかる通り、私は切ない、もしくはエグいラブソングが大好物なもので、たいへん偏った選曲になっておりますがご了承ください。甘々なラブソングやバキバキの応援歌も好きだけど白飯は食えないので。
好きな曲めいっぱい語れて楽しかった!あおでした。