この夏、手持ち花火を二度した。いちどめは『わたがし』、にどめは『打上花火』をBGMに流しながら。スーパーで買った徳用の花火は少し湿気ていて、百円ライターで火を灯すとばちばちと安っぽい火花を散らしてはすぐに消えた。「これってなんか『ムーンソング』の歌詞みたいだね」 とつぶやくと 「わたしもそう思ってた」 と友達が笑って、花火よりも暗がりで見たその微笑をなぜだか忘れられない。
こないだ分けてもらって初めて飲んだ日本酒は消毒液の味がした。もっときちんとした日本酒だったら美味しいのかもしれないけど、私はとうぶん洋酒でいいやと思った。同時に勧められた煙草は、特に惹かれない銘柄だったので断った。アメスピのメンソールだったら試してみたかもしれない。
海へも行った。始発の電車で待ち合わせをして、まだ仄暗い田舎街をサンダルつっかけて歩いた。早朝の海には私たちのほか誰もいなかった。波打ち際を歩いては素足をひたす。飽きると砂の上に座って、潮風にうたれながらちょっと真面目な話をした。誰もいない海では普段言えないこともなんでも話せた。海水浴客が増えはじめたころに入れ替わりで帰った。
ばかげたサングラスとお揃いのサコッシュでフェスに行った。こういうアホみたいなことは学生のうちに済ませておくべきだと思って。そもそも曇天だったのでサングラスは全然使わなかった。安いペラペラのサコッシュは意外と使い勝手がよくて、今はバイトに行く際の通勤鞄として重宝している。
この夏は、大好きな人たちと大好きなことだけをしようと決めていた。来年は遊ぶ余裕ないし、再来年は地元を離れている可能性が高い。生き急いでると言われてもいい、だって実際生き急いでいる。常に全力で突っ走っているから長生きできなさそうだと思っている。みんなが平成最後だからとせっせと思い出作りをしているように、私は昔から、これが人生最後になるかもしれないといつも心に留めて生きている。
こんなときに浮かんでくる言葉にできない気持ちを、「エモいね」 と笑ってごまかすことしか出来ないのは歯がゆい。日常と非日常の狭間で揺れるかけがえのないワンシーンを、そのときに沸き起こる感動を、この儚い瞬間を失いたくない、と思う気持ちをなんと表せばいいんだろう。わからない。
わからないから、ここに残しておきたいと思う。百円ライター、腕時計のかたちに残った日焼けのあと、ポカリスエット、空調の効いた図書館、サングラス、夜中コンビニに買いに行ったスイカバー、帰り道に聴くindigo la End、ぬるい風、空き瓶に生けたドライフラワー、おぼろ月、甘ったるい缶チューハイ、数回しか出番のなかった扇風機、サンダルを履くために塗った赤いペディキュア。そういったことを。陳腐でばかばかしくて大切だった21の夏のこと。