映画『何者』。
朝井リョウ原作の小説がとにかく好きで、同じく原作ファンの友達と観にいってきた。
そして、絶句した。
なんだこの居心地の悪い映画は?
「就活」という言葉がピックアップされがちだけど、この物語の本当のキーポイントは「SNS」、もっと言うと「Twitter」。
と言っても、SNSの恐ろしさに警鐘を鳴らすような物語ではない。就活やTwitterを通して生まれていく心の変化を、リアルに切り取っている。とにかくエグい。痛い。就活生じゃない私ですら、苦しい。
観ていたつもりが、「観られている」。
原作にもあったこの居心地の悪さ(これめちゃくちゃ褒めてます)が、そりゃもう最大限に出てる。決まりが悪い。モゾモゾする。
チャラチャラ能天気に生きてる人や、ふわふわお花畑な人には一生わからない話かもしれない。
それでも、Twitterに疎くても就活生じゃなくても、「現代」を戦う人ならグサッとやられると思う。心当たりのある人が観れば、切れ味の悪いナイフで刺されたような衝撃を受けるはず。
騙されたと思って、いっぺん刺されてみ?
以下、表現はなるべく濁しますが、ネタバレを含みます。見たくない方は回れ右。
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冷静分析男子の拓人。お気楽なルームメイト、光太郎。まぶしいほどに実直な瑞月。意識高い系、理香。どこか斜に構えた隆良。
就職活動の荒波に揉まれていくなかで、5人はどのように変わっていくのか?切ない三角関係の行方は?……なんていう話では、ない。これは青春サクセスストーリーではない。人の死なないホラー映画だ。
拓人は、いつも周りを観察する。光太郎のバンド。付き合ってすぐ同棲し始めた理香と隆良。かつての演劇仲間である烏丸ギンジ。肩書きにまみれた理香の名刺。
ただ、黙ったまま冷ややかに眺める。拓人の目線を通して私たちは、うわあマジかよ、これはイタいわ、こんな人周りにいるいる!わかる!と共感する。それが罠なのも知らないで。
ところで一見協力しているように見えるこの5人は、互いを信用していない。プリンターがタダで使えるから、情報収集ができるから、対策を練りやすいから。目的をそれぞれに持って、就活のために利用しあう。
みんな、「こいつイタいな」と思っていて、言わない。話を流す、笑ってごまかす、席を立つ。そうして場を回そうとする。登場人物たちが本音を伏せて仲良さげに話しているところも、気持ちの悪いポイントのひとつだ。
過去の淡い恋心、くすぶっている苛立ち、就活をする理由。5人の思いが明かされていき、物語は着地点が見えないまま淡々と進んでいく。
そんななか、クライマックスは突然訪れる。
「あんた、私たちのこと笑ってるんでしょ?」
「あんたと一緒にしないで」
見下していた相手からの、思いもよらない言葉。拓人がひた隠しにしていたすべてが暴かれていくとき、私たち観客もまた、醜い心を暴かれる。
光太郎の要領のよさを憎み、理香の痛々しい必死さを嘲笑い、隆良の世間知らずさを馬鹿にし、醜さに歪んだその顔に、いきなり鏡を突きつけられたような衝撃。これほどまでに私は醜かったのか?弱かったのか?
理香の涙が、隆良のまっすぐな眼差しが、痛い。
誰かを観察して馬鹿にしていた自分こそ、いったい何者だったんだ?
冷静に周りを観察していたつもりが、実はすべて見抜かれていた。観客席にいたつもりが、いつの間にか舞台に上げられていた。嘲笑っていたものが実は鏡だったような、決まりの悪さ。気持ち悪さ。
そのことを象徴するようなあのシーンを、是非ともスクリーンで観てほしい。原作は知り尽くしていたのに、いや原作を知っていたからこそ、あの演出はゾクッとした。
と同時に、幕の下りたステージから駆けていく拓人の姿は、これまでの場所から次のステップへと進むことを暗示させる。
140字の中から出られなかった拓人は、ラストでついにその枠を越える。原作にはなかった最後のセリフに、打ち震えた。140字に留まらない拓人の思いは、SNSで発信する整えられた言葉よりもずっと、拓人の本質を表している。
ステージを降り、ずっと囚われていた140字の枠から飛び出した拓人は、その手で新たなドアを開ける。
『青春は終わった。人生が始まる。』
この映画に付けられたキャッチコピーが、ふっと頭に浮かび上がったとき、やられた、と思った。
なんなんだ。120点じゃん。キャスティング、音楽、原作のよさを最大限に引き出す演出、なにからなにまで最高だった。
とにかく居心地が悪く、気持ちの悪い映画だった。めちゃくちゃいい意味で。この先、いちばん好きな映画を聞かれたら、私は迷わず『何者』と答える。
光太郎のおちゃらけ大学生度合いが強すぎる原作も最高なので、映画を観た方はそちらもぜひ。
あおでした。