あおいろ濃縮還元

虎視眈々、日々のあれこれ

御守

昔、吃音持ちの私は苛められるのがこわくて話すことができなかった。苛められることはなかったけど、誰とも話せなかったし笑うこともなかった。無愛想でかわいげのない自分のことが嫌いだった。五年生のころ、教育実習の先生がクラスひとりひとりに宛ててくれた手紙に「あおちゃんの笑った顔を見ると本当に幸せな気持ちになれました」と書いてくれた。花柄の封筒にはいったそれを、何度泣きながら読み返したかわからない。笑っていよう、と思った。

 

だから、どうして私と付き合いたいと思ったのか彼氏に尋ねて「笑った顔が好きでずっとそばで見てたいと思ったから」と返ってきたとき、"11歳の私" と "23歳のわたし" とがひと繋ぎになったような気がして、これまでのことぜんぶ報われたようで、涙がとまらなかった。またあるときは「吃るからア行の言葉はできれば言いたくない」とこぼしてしまった。別にフォローするふうでもなく「吃ってるところ好きだよ、一生懸命話してくれてるなあって思う」とさらっと言われて、またしても涙がとまらなくなった。気持ち悪がられるかイジられるか笑い飛ばされるかしか選択肢がなかった人生をはじめて肯定された気がした。

 

ふたりのおかげで死ぬまで背負うはずだったコンプレックスを、もしかしたらアイデンティティに変えられるかもしれないと思えた。どちらにしたって、こんな何気なく言ったことを私がお守りのように握り締めているなんて思っていないだろうけど。この先も勝手に、大切に懐へいれておくけれど、知らなくていいのだ。

 

 

 

 

花 -Mémento-Mori-

花 -Mémento-Mori-