無駄に見えるものに宿る情熱を信じたい。
流行病が広まったことで私の愛した音楽は、ライブハウスという場所は、忌むべき不用品のように蹂躙された。愛してやまないライブハウスへ久々に足を運べることを、私は誰にも言えなかった。誰が悪いわけでもなかった。そのことが悲しかった。でも、色を喪った人生に色をつけるのもまた音楽だった。不要不急にも見える芸術で私は息をしていて、どうしようもなく愛しているんだとわからされた。
中学のときは美術部で絵を描き、高校にあがると文芸部にて言葉を紡いで、大学に入って文学を専門に学び、思えば私は人生を芸術に費やしている。
そんなものが何になるんだとずっと言われてきた。ずっと。絵を描いて何になる。小説が書けて何になる。語学や文学を学んだところで就職に何の役が立つ。ずっと。ずっと。
なんの役に立たなくてもいいのだ、芸術は。私が私らしくあるために、呼吸をするために芸術は存在する。大好きなバンドの初武道館公演を観て、そんな基本的なことを痺れるほど実感した。
誰かにとっては無駄かもしれない。だけど私にとっては、私のような人間にとってはかけがえのない酸素なんだということを、芸術は無駄じゃないってことを、人生かけて証明したい。私の愛したアーティストたちがそうであるように。
「芸術は無駄じゃない」 ということを証明したくて、私、生きてるのかもしれない。
大袈裟じゃなくそう思う。
あー、いつか仕事で対等に携われるまで死ねないな、と思うのです。
「このまま僕は曖昧な最終回なんて過ごしたくはないよ」と人生賭けて鳴らす彼らの姿が眩しくて、眩しくて、でもいつか同じスポットライトの下に照らされたいと思った。