あおいろ濃縮還元

虎視眈々、日々のあれこれ

手記

このところ体調を崩しており、来たるライジングサンに向け、昨日は夕方から夜にかけて寝込んでいた。だから16日の開催が中止になったことを目が覚めて少し経つまで知らなかった。まどろむ頭を、中止、の2文字にしたたかに殴られて目眩がするようだった。なんだかとんでもない悪夢を見ていると思った。

私の大本命は17日である。この日のために頑張ってきたといってもほんとうに過言ではない。17日の開催有無については翌日の5時半にアナウンスすると知り、それまで起きていることにした。眠れるわけがなかった。だって大好きなフレデリックが出演を発表するずっと前から、1月のワンマンで、今年は北海道にフェスでも戻ってきたいみたいな仄めかしをされたその瞬間から、ずっとずっと楽しみにしていた。

ぼうっとスマホを眺めたり、ラジオを聴いたり、朝井リョウの 「何様」 をまるごと読破したりして夜を消費した。もし17日まで中止になってしまったらどうしようかとあらゆるシミュレーションをした。ありったけのコンビニスイーツを買ってヤケパーティーを敢行するとか、払い戻しがきくのならそのお金で旧譜を買い占めてしまおうだとか、かわいいワンピースでも買って純喫茶を巡ろうかな、とか、たくさん考えた。でも、思いつく限りのどんな贅沢よりも私はただ大好きなバンドの50分のステージが見たかった。それだけだった。

5時を過ぎたころ、明るくなった空に雨がぱらつき始めた。ハンガーには今日のために新調した上着がくたびれたようにしがみついている。今日のために塗っていたマニキュアを落としてしまった心もとない爪を見る。明日こそは、って祈りをこめて新しい色を塗った。深い青。好きな色。

5時半に設定していたアラームが鳴る。オフィシャルサイトを開き、17日の公演は敢行するということを知った。全身の力が抜けて死んだように眠った。父の運転する車がいつの間にやらジェットコースターの滑走路に乗り上げていて、いまにも空に投げ出されてしまうというところで夢から覚めた。

急遽セッティングされたライブに行くつもりでいたけど、順調に雨風が強まるようであればきっと家から出られまい。とりあえず降り出さないうちに出掛けて、ノンアルビールやお菓子を買い込んだ。今夜はお行儀のいいささやかな宴会にしよう、そうでもしないとやってらんないから。逆境を楽しむスキルにかけては自信があるので、あとはせめて明日のTHE KEBABSとフレデリックだけでも見られるように祈る。ねえ、私、七夕の短冊書いてないんだけど、ねがいごとの繰越清算できるかな。

 

終焉感傷癖

お盆休みだからと集まった面々のなかには、中学を卒業して以来顔を合わせていなかった人もいて、そしてきっとこれが会う最後の機会になってしまうんだろうってなんとなくわかって、ただグラスを傾けて笑っていた。地元にいられるのも今年で終わりだろう。案外友人の多い私は、帰省するとなってもわざわざこの集まりに顔を出しはしないだろう。『君が海』の、「この夏が最後になるなら その横顔だけでいいから ずっと忘れない」 というフレーズがときどき彗星のように尾を引いて駆け巡った。別れ際、私はいつも振り返りもせずスタスタと去る。寂しさに追いつかれないように。次会ったときにまた昨日の続きみたいに話し出せるように。でもこれが最後かもしれないと思ったから、見えなくなるまで手を振った。ちゃんと前見てよって笑われるぐらい。これが最後かもしれないなんて考えてしまう自分にひどく疲れるけど、物心付いたときには既にこういう思考回路だったわけで、治らないならこのひねくれた脳みそと付き合っていくしかないんだよな。飲んでもないのに頭が痛い。

マジックペン

私はなかなか頑固でエゴイストで、プライドが死ぬほど高い。とくに文章においては、1ミリたりとも信念を曲げられない。句読点ひとつとっても私なりの哲学があるわけで、こればっかりは譲ってなんかあげられない。

 

ひとに伝えたいとか、思うこともあるけど、ほとんどの言葉は私が息をするために書いている。読みやすさと複雑さがちょうどよく交わるところを、ミルクとコーヒーの黄金比率を探り当てるように筆をとっている。

 

誰の代わりにもなりたくない。特徴あるボーカリストのことを 「声に名前が書いてある」 と表現することがあるように、私は、でかでかと黒マッキーで名前が記してあるような、私にしか紡げない言葉が一生かかっても欲しい。私が書いたってすぐわかるような、でも誰にも真似できないような、そんな魔法みたいな言葉を何十年かけても手に入れたい。

 

作家でもライターでもない凡人のくせに、って笑う?笑われたなら何年かけたって笑い返してやるまでだから、それでいい。笑ってな。

 

無邪気に言いふらしてた高校生のころの夢を、大学生になってから叶えることもできるんだって私は知ってる。夢を叶える道はひとつじゃないんだってこと、回り道に見えたってそれが私にとって必要な最短ゴールになりうるんだってこと、人生賭けても証明していきたいかもってやっと思えるようになったから、かっこよく生きるから、見ててね。

 

チャイナブルー

空をひっくり返したみたいな大雨を傘で受けながら人生について考えてた。徹夜明けの喉は枯れ果てており、今からバイトに行くのだと思うとそらおぞましい。二日酔いが残らないようセーブできるほどには大人だけど、大人だから徹夜がしんどくて仕方ない。

 

私はかっこいいと言われるのが案外好きで、とくに同性より異性から言われる 「かっこいい」 は数段嬉しい。たぶん私の生き方だとか主義だとか服装までものことを含めて言ってくれたのだと思う、「あおはかっこいいよ」 という言葉が、やけに頭をぐるぐる回って離れないから忘れないで取っておこうと思った。

 

酔ったときに零したものこそがより本音であるならば、一生覚えておこうと思う言葉が昨夜はいくつかあって、本当に些細でとるに足らないことばかりだけど、私にとっては大切だからそれは誰にも教えない。

 

人生で初めて入ったバーで、目移りする私にマスターが出してくれたチャイナブルーの、空と雲の比率が切り替わったような色合い。本来、空である部分は晴れやかに透き通り、淡いブルーが雲のようにところどころ広がる。お任せで頼んでブラッディメアリーみたいなカクテルが出てきたら落ち込んでしまったかもしれないけど、チャイナブルーはひどく私に似合う気がした。

 

悪役の正義

私がときどき冷酷になることを誠実さだと、突き放しさえすることを優しさだと見抜いてくれるあなたとだけ話がしたい、踏み台や悪役になるのは慣れっこだけど毎度やっぱり痛いものは痛くて、奈落に突き落とした両手には血が滲んでいて、こんなこと全然したくないんだけど甘さと優しさを履き違えるような弱い人間になるのなんて御免だから、これが私なりの誠実さで優しさで愛だから、絆創膏まみれの両手を背中に隠して何度でも私は

500ml

イカバーを手に歩けば、駅から海までの寂れた道にだって夏の魔法がかかる。気が済むまで海に足をひたして、砂浜でお喋りしつつ自然乾燥させる。お祭りの出店の安っぽいフランクフルトと、プラスチックカップに入ったモヒートを昼間からキメた。大人になってよかったことがあるとすれば、野外でお酒を飲めることだ。

 

街に戻り、コラボカフェにて出来たてよりちょっと冷めてるアップルパイを食べ、東京の夕焼けを飲んだ。初めて知った時は名前すら知られていなかった彼らの、アリーナライブの映像が店内で流れていて、曲名を冠したコラボメニューをみんなが頼んでいる。その光景が不思議で、感慨深くてなんだかぐっときた。そんな昨日は一部の隙もなく完璧な夏の日だった。

 

夏が好き。暑いのは嫌いだけど。週末には手持ち花火をする。レポートを提出し終えてついさっき夏休みに突入したので図書館で加藤千恵を借りた。駅を出たらぬるい風がおでこにまとわりついてきて、だって暑いもんって夏のせいにして缶ビールを買った。今日はふたつぐらい早いバス停で降りて、『夏夜のマジック』でも聴きながら歩いて帰ろう。

 

雨のち

雨の打ちつける音で目が醒めて、遠い舞洲の地に思いを馳せた、朝。靄がかった重たい頭で課題をひたすら打ち込みながら、私は義務的に書く文章というものはあまり好きじゃないなあと鈍る頭で思った。6年前にいちど筆を折ったのも、義務的でいたせいで書くことを嫌いになりかかったからだった。自分で傑作だと自惚れられない作品なんて。こうしとけばいいでしょ?って上澄みだけを掬って塗り固めた中身のない言葉なんて。あの時みたいな思いはもうしたくないけど、あんなふうに絶望することがなければ成長することもなくいつかどこかでぱきりと折れていたんだと思う。苦渋の味を忘れない。忘れてなんかやらない。蟻地獄みたいな1年間をただのかさぶたにするも踏み台にするも私の裁量。ならば、私は。