あおいろ濃縮還元

虎視眈々、日々のあれこれ

カニが死んでいる

通勤途中、どこからかやってきたサワガニがアスファルトの上で死んでいた。土地柄、小さなカニが干からびたり潰れたりして道で野垂れ死んでいるところをたまに見かけるけれど、故郷の海を離れてアスファルトで死ぬカニはどんな気持ちだったろうと妙にはてしない気分になる。

 

 

 

金髪をなびかせ、ニットのワンピースと赤いヒールを綺麗に着こなしたお客様を接客した。すらりと背が高いその人を、遠目ではヨーロッパ系の女性だろうかと思ったが、私に質問を投げかける声は日本人男性のそれだった。綺麗なお姉さんかと思ったら綺麗なお兄さんだったんだ、と思ってしまって、そんな自分がものすごく嫌になった。どっちでもいいじゃんそんなの。ただ「綺麗な人」でいいはずなのになんでそんなことを思ってしまったんだろう。猛烈に恥ずかしくなった。

 

そもそもお客様がヨーロッパ系の女性だったところで日本人男性だったところで、私には何の関係もないのに。元々はどうだったとか、本当はどうだとか、どうでもいいのに。国籍とか性別とか、興味本位で推し量ってしまおうとするのはやめようと思った。

 

目の前のその人がどうありたいか、というのをきちんと見たい。SNSで見せたい綺麗な部分しか見せないように、見ている人からは本人の発信したものが全てであるように。バックグラウンドを邪推せず、その人がこう見せたいと思っている姿だけを受け止めたい。そう思った。

 

 

 

インスタの広告に出てきた「自転車屋さんの高橋くん」を何気なく読んで、どハマりして初めて電子書籍の漫画を買った。単なる胸キュンの恋愛ものではなくて、もっと本質的な深いところを描いている気がする。ヤンキーっぽい見た目の遼平くん(=高橋くん)が話してみると優しくて惹かれていく、というところもキュンとして堪らないのだけど、それよりも周りに迷惑をかけないようにひたすら我慢して生きてきたともちゃんの姿が自分に重なりすぎて、心の奥深くまで突き刺さった。

 

親に怒られたくなくて、職場で迷惑をかけたくなくて、気に入って好いてもらえるいい子になりたくて、我慢して我慢して何も言いたいことを言えなくなっているともちゃんの根深いかなしさと、それを優しく解きほぐしてくれる遼平くんの無骨な優しさ。気付いたらべしょべしょに泣きながら最新刊まで購入していた。親にうまく愛されずに育ったともちゃんもそうだし、ほかにもいろんな形で親とうまくいっていない人たちやLGBTQの人たちが出てきて、どれもわかって苦しくなると同時に、登場人物たちが幸せに向かっていくにつれて自分まで救われた気になる。

 

久々にすごくよいものを見た。ヤリチンのくだりも共感できすぎてつらかった。何度も読み返しているけどそこだけちょっとつらくて読めない。

 

 

 

そんな雑然とした近況報告。