あおいろ濃縮還元

虎視眈々、日々のあれこれ

底抜け

恥の多い生涯を送ってきましたなんて言うつもりは毛頭ないが、大変長らく愛を知らない生涯を送ってきた。私自身は溢れんばかりの愛を叩きつけるように生きてはいるものの、愛され方がわからなかった。暗い話ではなく、ただ私の愛を受け入れる壺が底の抜けた欠陥品であったという話。家族にはそれなりに愛されてきたと思う。友人にもとてつもなく恵まれている。それでもずっと、注ぎ込まれては一向に溜まる気配のない逃げ水を見つめては涙していた。いつも何か足りなかった。きっと愛されているのにそれでも「愛されてみたい」と飢えるように強く思ってしまうことが欲深くて醜くて嫌だった。つむじから爪先まで満ちていた呪縛は、二十数年もかけてするんと解けた。愛されるってこういうことだったんだ、大切にされるってこういうことを言うのだと、抜け落ちたと思っていた壺の底の滑らかさをようやく知った。長女であることを求められてきた私にとって、我儘なんて勇気を出して言ってみたところで流されるか突き放されるかしかない残酷な贅沢品であって、だからかなり時間が経って恐る恐る言ったそれを当たり前のように受け入れられたとき、涙が止まらなくなった。あー、こういうことだったんだ、そうなんだ、良い子じゃなくても可愛げも素直さにも欠けたこんな言い方でも受け入れてもらえるんだ、って思ったらそそくさと電話を切ったそばから熱い涙がつたってイヤホンと耳の間を気持ち悪く濡らした。私はずっと幸せに生きている。でも「幸せになる」その手段として、「自分を幸せにする」という方法は知っていても、「他人に幸せにしてもらう」なんて選択肢はあまりに贅沢すぎると思っていた。そう思っていたのだ。濡れたイヤホンを拭いながらまた泣いた。幸せすぎてこぼれ落ちた涙だって悔し涙と等しくしょっぱい。