あおいろ濃縮還元

虎視眈々、日々のあれこれ

しょうゆ味

適当に前髪を巻いて、ちゃちゃっと眉毛を描き、手と顔のマスクから出る部分に日焼け止めを塗るだけ、が近頃の外出スタイルになっている。マスクをしてしまえば万事なんとかなる。前も書いたけれど最近は彼氏に贈られたワンピースをこれでもかと着倒している。コンビニやスーパーへ行くにも着る。というかコンビニかスーパーにしか出掛けないので、もう心地よく着られる季節のうちに元取ったれマインドでコロコロ着回している。いつファッション誌の着回し1week特集に選ばれても怖くない。

 

近所のスーパーは自粛ムードどころか三密って何?平日って何?とばかりに混んでいて、執拗に消毒用アルコールをすり込み、買い物客といそいそ距離をとる私のほうが馬鹿のような目で見られた。老人しかいない田舎だから仕方ないのだろうか。とはいえ、買い占めだと後ろ指をさされる、といった話も聞かないではないから、必要で買いに来た生理用ナプキンを吟味するのも憚られてしまう。色がかっこいいからという理由で特売の紫の歯ブラシをなんとなく買った。ちょっと透き通ったやつ。

 

あと絶対買おうと思っていたのは、パン屋のもちもちドーナツ(しょうゆ味)。子どもの握り拳くらいの、もちもちした揚げパンのようなものである。しょうゆ味以外は見たことがない。他に何味があるのだろう。絶対に今日はもちもちドーナツ(しょうゆ味)を買う、単品じゃなくて3個入りのやつ、と決めていたのにそんな時に限ってもちもちドーナツ(しょうゆ味)はなかった。ミニクロワッサンならあったけど、私が求めていたのはサクサクじゃなくてもちもちである。ベクトルが全然違うのだ。パン屋を3周ほどしたあとに結局ふわふわのロールパンを買ってやり過ごした。

 

スーパーを出た途端、私の前を歩いていたおじさんが秒速で煙草に火をつけた。煙草はまったくもって平気だけど、この世で見知らぬおじさんの副流煙ほど吸いたくないものはない。清々しいまでに豊かな色をした新緑と、チューリップのうつくしいフォルムを眺めることでどうにか気分を緩和した。ちょっと外に出ないだけで、世界の解像度がフルビジョンで見えるもんだなと思う。今日はお腹が痛いから、寝る前にあっためた低脂肪乳をのむことと、好きなバンドの動画を見ることを許そう。

 

 

御守

昔、吃音持ちの私は苛められるのがこわくて話すことができなかった。苛められることはなかったけど、誰とも話せなかったし笑うこともなかった。無愛想でかわいげのない自分のことが嫌いだった。五年生のころ、教育実習の先生がクラスひとりひとりに宛ててくれた手紙に「あおちゃんの笑った顔を見ると本当に幸せな気持ちになれました」と書いてくれた。花柄の封筒にはいったそれを、何度泣きながら読み返したかわからない。笑っていよう、と思った。

 

だから、どうして私と付き合いたいと思ったのか彼氏に尋ねて「笑った顔が好きでずっとそばで見てたいと思ったから」と返ってきたとき、"11歳の私" と "23歳のわたし" とがひと繋ぎになったような気がして、これまでのことぜんぶ報われたようで、涙がとまらなかった。またあるときは「吃るからア行の言葉はできれば言いたくない」とこぼしてしまった。別にフォローするふうでもなく「吃ってるところ好きだよ、一生懸命話してくれてるなあって思う」とさらっと言われて、またしても涙がとまらなくなった。気持ち悪がられるかイジられるか笑い飛ばされるかしか選択肢がなかった人生をはじめて肯定された気がした。

 

ふたりのおかげで死ぬまで背負うはずだったコンプレックスを、もしかしたらアイデンティティに変えられるかもしれないと思えた。どちらにしたって、こんな何気なく言ったことを私がお守りのように握り締めているなんて思っていないだろうけど。この先も勝手に、大切に懐へいれておくけれど、知らなくていいのだ。

 

 

 

 

花 -Mémento-Mori-

花 -Mémento-Mori-

 

まどろみと覚醒

テキストに青いマーカーを引きながら『重要と書かれた文字を写してく なぜ重要かわからないまま』という加藤千恵の短歌を思い出していた。夕飯に食べた餃子とビールの味は、歯を磨いても牛乳をのんでも口蓋に張り付いているような気がしてならない。ゴールデンウィークはもう終わるけれど、バイト先が依然として営業自粛を余儀なくされているフリーターにとっては今月いっぱいゴールデンマンスのようなものなので、とびっきり濃い色に爪を塗った。就活がなければ金髪にでもしているところだったし、惰弱な耳の持ち主でなければピアスのひとつもばちこんと開けていたところだけど、仕事のために短くしていた爪を伸ばす、ぐらいのささやかな反抗に留めておく。

 

眠気のバロメーターが1から10まであって、10に達したとき寝落ちてしまうとするならば、生理前は常に8から10という異様な眠気に襲われる。今日も3時間ほど昼寝と覚醒を繰り返した。なんど目を覚ましても、沼の底に引きずり込まれるような睡眠欲に首根っこを掴まれ、気絶するようにまた眠りに落ちた。つよい雨の音でなんどめかの覚醒をする。電気を点けていない部屋はすっかり暗くなっていた。まどろんでいると一瞬だけ何かが光って、雷だ、と思う。音は遅れてやってきたからかなり遠い。彼氏の所は大丈夫だろうかと寝ぼけた頭で思ったあとに、向こうはそもそも雨すら降っていないかもしれないのかと気付く。遠距離ってそういうことだった。だから寂しいとかではなくて、ああそっか文字通り手の届かない所にいるのだと実感を伴って確信に至った。

 

何もかも落ち着いたらめいっぱいめかしこんで、ひとりで美術館とカフェとカラオケと大型書店を1日中くるくると回って遊ぶのだ。

 

チョコミント

外に出たのは1週間ぐらいぶりだろうか、日付の感覚すら麻痺してきたのでわからないけど。ここ最近は徒歩数分のスーパーにすら行っていなかった。誕生日にLINEギフトで貰ったプレミアムロールケーキをいい加減引き換えたかったのと、買い置きしていた2リットルのお茶やらなにやらが一斉に底を尽きたのと、iTunesカードを買わないとサブスクが聴けなくなってしまうのと、とにかく不要不急という言葉にかまけていたあれこれが無視しきれなくなってしまい、眉のみを描いて外へ出た。

 

知らぬ間に桜が咲いていた。人通りはさすがに少ないが、車と自転車の往来は多い。暇を持て余した小学生が軒先でスケボーをしている。風の匂いや色彩や音の情報量がこんなにも多かったっけ、外。なんだかまぶしい気持ちになる。彼氏に贈られたワンピース、コンビニに出掛けるだけで着るのもどうかと思うけど、心地よく着られる季節に供養しておきたいからいいのだ、と言い聞かせるように裾をはためかせてずんずん歩いた。本当はゴールデンウイークにこれを着て会えるはずだったから悔しくてしかたないけど、来年はきっと。

 

コンビニに着く。レジに吊り下がるビニールを見るたび、ディストピア、と思う。関係ないけどディストピア小説が書きたい。必要なものに紛れて目についたアイスをカゴに入れた。このコンビニの店長はたいそう横柄なわりに仕事が雑でものすごく嫌いだったのだけど、今日は感じの良い金髪の女の子がニコニコとレジに立っていて和んだ。私も感じの良い人でありたいなあと思いながらきちんと目を見てありがとうございますを告げる。そういえば久しぶりに他人と話した。心のうるおい満タン補給し終えた気がする。……あ、ロールケーキ買ったのにアイスも買っちゃった、あーあ。

 

 

へらない紅

誕生日だからと妹がくれたブラウンのリップは貰ったそばから塗らなくなった。バイトから帰るバスの中で更新するのが常だったブログは、一時休業になってしまったから自然と書かなくなった。たまに必要に駆られてスーパーや郵便局へ出向くぐらいじゃメイクもしなくなった。ファンデーションや口紅はいっこうに減らないまま、繰り出し式のアイブロウだけが短くなっていく。余計なものが削ぎ落ちていく生活は、過剰に情報を摂取しすぎなければこれでいて快適でもある。色の抜けた髪は試験の前には染めておきたいけれど、明るく伸びきった前髪もまあ悪くないよねと思ってる。ライブに行けないのも美容室に二の足を踏むのも自分だけじゃ嫌だけど、今みんな前髪長いしなあ、と思うと愛おしくすらある。生活の隙間を縫って彼氏と電話をしていたら1日が無事に終わる。こんな状況で遠距離という絶望的なシチュエーションではあるけれど、笑っちゃうぐらい順調に仲がいい。お風呂上がりにのむグラスいっぱいの牛乳が美味しいし、Youtubeはじめ動画コンテンツも充実していて楽しい。あわやディストピア只中にある平穏を波風立てずやり過ごしていきたい。そのうちマスクをしなくても歩けるようになったら、生地にうつることを気にして無難なリップを選ばなくてよくなったら、意外とブラウンには見えない紅を引いて颯爽と歩くから。

 

春宵、一等星

時勢の煽りを受けて近所のパン屋はすべてのパンをビニールで覆っていた、少人数で回しているこの店にとってビニールを被せていく何気ない作業がどれだけの負担であるのだろうと思いながら、タイムセールで半額になったチーズフランスを買う。181円、端数を切り捨てて90円。タイムセールをやるような遅い時間に来店した私が悪いのだけど、不景気で閉店されてしまったら困るからもうちょっとぐらい払ってもいいのにと思った。今度は早めに来よう。閉店といえば、一度しか行けなかったけど好きだった札幌のライブハウスも閉店してしまう。出演するバンドにあわせて作ってくれるコロニーの特製カクテルと、段ボールに詰め込まれているような気分になる狭っ苦しいハコ、天井で剥き出しになった鉄パイプなんかがライブハウス然として好ましいなと思っていた。2019年、あの小さなハコでフレデリックを観られたのはほんとうに奇跡だった。どうしようもなく奇跡になってしまった。パンを買った帰り道、やるせないよな、と思いながら見上げた夜空は19時のわりには明るい気がして、耳元に受ける風のつめたさとは裏腹に季節はしっかり春なんだなあと思い知る。星座なんかはよくわからないが、明らかに一等星だろうと思われるひときわ大きな星がビカビカ光っていた。今日は湯船に入浴剤をしずめよう、青いのとか緑のとか、はたまた白いやつじゃなくて、なるべくピンクとかオレンジだとかの春っぽいやつを。

 

 

振り返らない

別れ際、私は振り返らない。ポリシーとして。半年ぶりに会う友人と飲み会をした帰り道でも、初めて会う遠方のフォロワーと解散するときも、デートのあとでも、後ろは向かずスタスタ歩き出す。バイバイしたあと姿が見えなくなるまで手を振り続ける女の子が可愛いのは百も承知だし、手振るぐらいで男女問わずキュンとされるなら容易いなと思わなくもないけど、だって振り返ったらさみしくなってしまうし。冷たいと思われてもこれが美学であり、潔さであり、保身であるから譲れない。

 

自分が振り返らないから、じゃあまたねって別れて歩いていく相手が果たしてこっちを振り向いているのかなんて全然知らなかった。遠くへ引っ越す彼氏を空港まで見送りに行った。ドライな私であるので、湿っぽくもドラマチックにもならず、2軒ほど飲んだあとの帰り道のようにサクッと手を振った。私は一旦歩き出したら振り返りはしないけど、さすがにすぐには立ち去らず、身を翻して保安検査場へ歩いていくその姿を眺めてみた。コートを脱ぎ、ポケットの中のものを出し、リュックをおろしてX線を通り抜けていく彼氏はものの見事に一度も振り返らなかった。あ、このひとは私と同じ人間かもしれない、と初めて知って、きっと冷たさではなくて振り向いたら泣いてしまうからこちらを見なかったのだとわかって、検査場の向こうに消えていく背中を見届けると、私も振り返らずロビーを去った。泣かなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

泣かなかったけど、引越し先に持っていくには重いからと譲り受けたグルメ情報誌を眺めていたら、何ヶ所か折り目のつけてあるページのうちのひとつに、付き合う前、告白された日に行った居酒屋が載っていて、今になって、じわじわとボディブローが効いてきているところである。ちくしょう。泣かねえ。