あおいろ濃縮還元

虎視眈々、日々のあれこれ

吸い殻のルージュ

たとえば写真。今の時期ならば桜の花。元から美しく在るものを、ことさら美しく切り取ることはそれでいて素晴らしいのだけど、私は薄汚れたものの中に光る埃まみれの美しさを拾いたい。灰皿に打ち棄てられた真っ赤なルージュのついた吸い殻の写真、みたいな。わかりやすく写真に例えたけれど、私は文章でそれをやりたい。

 

 

高校のころ1年だけ、文芸部で短歌やら短編小説やらを書いていた。大会に出した、後味の悪すぎる血みどろのミステリーは、「高校生らしくなくて審査員受けしない」 という理由でろくに読んでもらえなかった。

 

それを差し引いても未熟だったのだと今ならわかるけど、文章と伏線には自信があって、審査員にベタ褒めされて受賞した 「高校生らしいだけ」 の作品と比べてどこが駄目なのか、どうしても納得できなかった。

 

"高校生らしい" ハートフルでお涙頂戴なサクセスストーリーだから何だというんだろう。「1年生にしては上手いけど……」 の、「けど」 の後に続く言葉は何なんだろう。明らかに審査員受けを狙った、美しいだけの媚びた物語になんか負けたくなかった。

 

1年生にしては上手いとか、でも筋書きが高校生らしくないとか、そんなのどうでもいいから生身剥き出しで書いた醜い物語を読んでくれよと思った。受賞するには下手だとか後味が悪くて好みじゃないから賞はあげられない、みたいに、はっきりしっかり傷つけてほしかった。

 

だけどその話を好きだと言ってくれる人もいた。伏線に気づいてから何度も読み返してくれた先輩や、目を輝かせて感想を言ってくれたクラスメイトや後輩の顔を、ずっと忘れられない。100人に刺さる綺麗事で塗り固められたおとぎ話より、99人に気味悪がられても1人にだけ刺さるものが書きたいと思った。

 

 

これから、卒業制作(のようなもの)で長編小説を書く。あのとき噛み締めた悔しさの味をいまでも覚えている。教授受けなんてどうでもいい。お行儀のいい綺麗なフィクションなんて書かない。ドロドロに汚い感情を、自分の血肉を切り売りした醜い話を、私なりの美学をもって美しく書きたい。

 

それで認められたら、あるいは認められなくても自分で納得できるものを作れたなら、私はぶじに復讐を果たせるだろう。悔しくて涙もでなかった16歳の私のかわりに、あれから虎視眈々と言葉のナイフを研ぎ澄ませてきた。心臓をひと突きする準備ならできてる。待ってろ。