4月からの日々は幽霊のように過ごした毎日で、目にうつるものすべてが灰色だった。そんな陳腐な比喩に頼るほど先が見えなかった。愛すべき他人だと思っていたロックバンドを、わたしは自分が思っているよりもずっとずっと愛していたことに気づいた。早く7月15日が来てこのくるしさから解放されたくて、でも7月15日が来てしまえばわたしの愛した完全無欠のロックバンドはいなくなる。
断頭台にのぼるような、長年付き合った恋人に別れを告げるような、卒業式に挑むような、さまざまな気持ちが数ヶ月の間に駆け巡っては7月15日を迎えた。成仏といえばきこえは悪いけれど、行ってよかったと心から思える日だった。感想とかは、まだ言わなくてもいいだろうと思う。あの日あの場所にいた人なら、あの日あの光景をみていた人ならすべてをわかってくれると思うし、その他大勢にはわかってもらえなくてもいいと思っている。言いたくなったら言う。
とにかく、整理はまだ全然ついていないけど、気持ちに一区切りがついた。そんな気がしている。あれからいろんなものに意味を見出したり見出さなかったりしている。失恋ソングがなぜかやけに染みたり反動のようにいろんな本や映画をみたりしている。誤解しないでほしいんだけど、あえて言うと、大失恋!みたいな気持ちだ。やけくそだとは自分でも思うけれど、いまはこうやってしか生きられない。でもやけ酒をしたり涙に明け暮れたり、不健康な悲しみかたはしていない。実家からスロウハイツの神様を持ち帰ったりウェス・アンダーソンの映画を観たり食べすぎてダイエットを決意したり、わたしはすこやかに忙しい。
あの日勝手に受け取った約束がわたしを生かしている。生きてほしいという願いが自分に向けられていたのだと信じて歩いていく。言わなくてもぜんぶわかった。ぜんぶ伝わった。そういう夜のことをわたしが覚えているのならそれでいい。明日は夫とちいかわの映画を観て、あさっては唸りながら原稿を書き上げる。夏野菜カレーをつくって、止まっている腕時計の電池をかえて、リングフィットアドベンチャーをして、破れたワンピースを繕って、友達と遊んで、読みかけの文庫本をたくさん読んで、まだ観ていない名画を観て、たまに夜更かしをしたりして、生きていく。すこやかに生きつづけていく。勝手に受け取っちゃったボトルメールを手放す気は全然なくて、だからもう観念してほしい。