あおいろ濃縮還元

虎視眈々、日々のあれこれ

晴々

私の大好きなコブクロが結成20周年を迎えた。21歳で結成してから20年。21歳、いまの私の年だ。

 

大阪で生まれ育ち、専門学校を卒業したのち各地を旅人のごとく放浪していた黒田俊介。故郷の宮崎を離れて関西トップの営業マンとして働き、すでに家庭も持っていた小渕健太郎。交わるはずのなかったふたつの点と点が、堺東商店街という地で線を結んだ。

 

互いの音楽的センスに惹かれあい、『桜』を作ったことがきっかけでコブクロを結成する。黒田さんは 「3年やってダメなら一生音楽はやらない」 と言い、小渕さんは仕事をやめる。辛く険しい第2の人生を、ふたりは歩み始めることになる。

 

平坦な道ではなかった。それこそ何もない荒野を切り拓くような。やっと日の目を見たと思ったのも束の間、一躍日本の音楽シーンに名を刻んだコブクロは、いちど歩みを止める。活動休止という名目ではあったけれどのちに黒田さんは、あのときコブクロをやめるつもりでいたと語った。

 

いちど完全に止まった歯車は互いに突き動かされてまた噛み合い、ゆっくりと動きはじめる。あれからまたいくつもの壁を乗り越え、今年の9月に晴れて結成20周年を迎えた。

 

 

 

 

 

 

ベストヒット歌謡祭、御堂筋の真ん中で『桜』『晴々』を歌うふたりを見ていたら涙が止まらなくなった。いちばん最初に作った曲と、20周年の歴史を織りこんだ新曲を歌うなんて。

 

コブクロふたりの軌跡についても思いを馳せたし、同時に、現在21歳の私は20年後どんな大人になれるだろうと考えさせられた。

 

一生かけて追いたい夢も、守るべき人も、大切にすべきものに出会ったときに全て投げ捨てて飛びつける勇気も、いまの私にはどれもない。人それぞれ違うわけで、それでもいいんだろうけど。

 

ただ、20年後の自分に恥じない生き方をしたいと思った。20年後、どんな大人になりたいのか。そのために何ができるか。何を選んで何を捨てるか。きっといま私は人生の岐路に立っている。どの道を選んでも後悔しないように全力で生きたい。そしてその道中で、ふたりの曲を大切に聴き続けたい。

 

あおでした。