あおいろ濃縮還元

虎視眈々、日々のあれこれ

9月7日現在

何が起きたかわからなかった。深夜3時頃、強い揺れを感じて居間に下りた。「地震です、地震です」 と警報がけたたましい音量で鳴り出す。必死で蛍光灯の紐を引くが、点かない。ああ停電しているのか。父は単身赴任、母は昨日から1週間の旅行に送り出したばかりだったので、家には私と弟と妹しかいなかった。3人で自然と居間に集まり、やがて電気が復旧したとき、震度6~7であったとニュース速報で知った。え、東日本大震災レベルってこと?と呆然としていると、またも電気が消えた。余震が怖くないわけではなかったが、台風に備えて懐中電灯や水などは置いてあったし、翌日みんな学校があったので怖がっている暇もなかった。居間に集結して眠った。

 

翌朝6時頃、近隣に住む祖父がコンビニの袋を提げて訪ねてきた。朝イチで買えるだけのものを集めてきたという。牛乳やシュークリームなど、ナマモノばかりであったが有り難かった。停電は直っておらず、冷蔵庫のなかの肉も卵も野菜もダメになっていたから。スマホも圏外続きで、ようやく繋がったとき、バス地下鉄JRといった交通網が全滅していることを知った。学校バイトどころじゃなかった。家の損壊はなにもなかったが、電気は復旧する見込みもなく、水道も止まっていた。1番不安だったのはトイレだ。弟はともかく、私や妹が外で用を足すにもわけにはいくまい。水は浴槽に貯めていたとはいえこの状況が何日続くかもわからない。数日分の着替えや歯ブラシや水や生理用品をリュックに詰めて玄関に置いた。電波はあまり繋がらなかったが、リア垢で安否を知らせるツイートをした。親友から送られてきた安否確認のラインに無事だと返し、高校のグループラインに返事を送ろうとしたところで圏外になった。このとき9時。体力を温存するために昼寝することにした。

 

昼頃、私の名前を呼ぶ声で目が覚めた。声は外から聞こえた。玄関の扉を開けると、友達が息を切らして立っていた。自転車を飛ばしてきたらしかった。私のツイートで両親が留守にしていることと、電気水道が止まっていること、食糧があまりないことを知り、家で匿ってくれるという。急いで追加の荷物を詰めた。いつも付けていたアクセサリー類は外すか迷ったが、あえて付けていくことにした。もしも私が顔もわからないぐらい酷い死に方をした時、身内がアクセサリーで私だと判断できればいいと思った。津波や火災で性別すらわからなくなっても、ピアスに指輪とたくさん付けていればどれか1つは残るかもしれない。友達の家はガスと水道が通っており、十分な食事をとらせてくれたし、トイレも普通に使えた。普通のことが涙が出るほどありがたかった。ラジオも聞けた。ネットやテレビから隔絶された今、震災の状況を知れるのはありがたかった。シャワー代わりに濡れタオルで体を拭かせてくれた。明るいうちは本を読み、暗くなってからはくだらない話をして過ごした。

 

22時頃にようやくネットが繋がった。圏外になって12時間以上が経っていた。グループラインに安否確認を入れる。同級生たちの家は軒並み停電から復旧しており、電気も電波も断絶されていたのはせいぜい私の地域ぐらいだと知った。留守にしている両親、祖父母、中学や高校や大学の友達、それぞれに無事を知らせていく。友達一家のおかげで平穏に過ごせていたけれど、電波が繋がって知り合いと連絡を取れるようになって初めて不安になった。怪我も何もない今ですら世間からここまで隔絶されているというのに、もっと強い余震が起こったとき、付随して津波や火災が起こったとき、生き残れるんだろうか。自分と弟妹を守れるだろうか。ヒステリックな所のある両親や祖父母が介入したところで心労が増えるだけだ。冷静かつライフハックもある友達一家を頼るのが最善策だった。足でまといにならず友達一家に頼ること、親を安心させること、弟妹を安全に匿うこと、私にできるのはそれだ。しゃんとしよう。不安なんて微塵も見せないように。停電した町は、街灯も信号すらも消え、信じられないくらい星が綺麗に見えた。世界の終わりみたいだと思った。こんな早くに死んでたまるか。

 

 

 

日付が変わる前に眠りに落ち、9時頃にラジオから流れる『君という名の翼』で目が覚めた。不意に大好きなコブクロが聴けて泣きそうになった。温かい朝食まで振舞ってくれてまたも涙腺がゆるみかける。近隣では順次電気が復旧していたが、お世話になっていた友達宅はまだだった。家の様子を見に一時帰宅する。ガス水道電気、いずれも復旧していた。今のうちにと水を追加でタンクに汲み、スマホとバッテリーを充電し、洗濯機を回し、シャワーを浴びた。生き返った心地がした。電子レンジが使えるうちに、レトルトカレーとパックの白米を食べた。

 

支度を済ませ、無事を知らせに友達宅に戻る。まだ電気は回復していないようだった。大学から、金曜と土曜の講座は休みになるとメールが届いた。バイトも当分は無理だろう。何もなければとりあえず月曜までは休める。トランプをしながらしばし平和に過ごした。ライフラインが絶たれているという理由で匿ってもらっていたので、全て復旧したいま、家に帰ることにした。夕飯を振舞ってもらったばかりか、明日以降もご飯だけ食べに来なさいと言ってくれて、じんときて真っ直ぐ目が見られなかった。

 

これを書いている現在、食糧の蓄えに多少不安があるぐらいで、ライフラインは全く問題がない。自販機でジュースが買えた。Mステまで観られた。最大の余震が来ると言われているのは明日。1度目ですら最大震度7であったのに、これ以上の地震が来たら今度こそ命に関わる。この幸せが嵐の前の静けさであることなんてよくわかっている。衰弱しきっている肉親を頼りにすることはできない。私が精神的に支えなければならない。いざという時は私が弟妹を守らなければならない。なんで私がと思わずにいられないが、くよくよしてなんかやるか。こんな若さで死んでたまるか。今月末のフェスに行くまでは死んでたまるか。死ぬときは病室で家族に看取られながらって決めてんだから。気合いだけなら負けない。

 

いまのところ心身ともに無事です。しぶとく復活する予定なので大丈夫。あおでした。