あおいろ濃縮還元

虎視眈々、日々のあれこれ

ピンスポットに照らされて

愛するロックバンドが近場に来るというのでチケットを応募した。なんともあっけなく外れたが、リセールで行けることになった。3階席、前のほう。

 

最初に観た彼らのワンマンも上階の前列だった。初めて目撃したライジングサンでのアクトが非常にかっこよかったのだが、ワンマンも観たいと思ったときにはチケットはもうなかった。Dr. Izzyのツアーだった。前日の夜になって「やっぱりユニゾンのワンマン観たい」と母が言うので、開演30分前まで粘ってなんとかチケットを掻き集めた。後ろの席で、あんまり曲を知っているわけでもなくて、1曲目のエアリアルエイリアンなんて閉ざされた幕の向こうで丸々歌い切っていて、何がなんだかよくわかんなくて、でも最高に、人生変わっちゃいそうなぐらい最高に楽しかったのだ。

 

 

 

 

あれから5年が経つ。うねる激流のように変わりゆく世界のなかで、私は変わらずに彼らを愛している。ライブに行くとわからないようにラババンもリスバンもつけないで、爪も素のままで、普通に出掛けるのと同じ格好をして、電子チケットをインストールしたスマホでユニゾンを聴きながら電車に揺られた。

 

絵の具が流れてからはもう、夢中だった。私の愛するロックバンドは否応なしにかっこいい。3人で出しているとは思えない音の厚みに、風のように縦横無尽な歌声が混ざれば、完全無欠の四重奏が編まれていく。照明が七色に煌めいたとき、ロックバンドのあまりの美しさに胸が詰まって、ばかみたいに涙しか流せない自分を不甲斐なく思った。後ろ指をさされる時流のなかで、覚悟を決めてまでもライブを観たいと思っている人たちが私の他にこんなにもいるのだな、とも思った。芸術をまもるために私には何が出来るのだろうとも。でも音に熱が乗ればそんな小難しいこと全部どうでもよくなって、ついでに今抱えているしがらみとかそういうのも全部どうでもよくなって、ただ身体を揺らして飛んだ。笑いながら泣いて、泣きながら笑った。マスクのしたで鼻水が流れて、勘弁してくれよと思ってまた笑った。

 

私は私の人生を生きよう、とものすごく単純な結論に至った。 大事なのは私が私でいられるかどうかだって彼らも言っている。大好きなロックバンドが命を燃やして今を奏でていて、それを見ていたら、暗いステージでボーカルにだけピンスポットが当たるあの瞬間のように、私はこう生きようとズバーンと閃く瞬間があった。「神のお告げのように」だとか「雷が落ちたみたいに」というのとは違う。ピンスポットに照らされたような瞬間が、あった。

 

間もなく最寄り駅に着く。家に帰ったら私は、舞茸の味噌汁でもつくりながら彼氏に今日のライブのことを話して聞かせる。ゴールデンウィークが明けたから明日の仕事は暇だろう。今日の疲れが取り切れずに眠気をこらえながら、私はきっと、この一夜のことをくりかえし噛み締めながら、少しだけ頑張ろうと思う。芸術ってそういうもので、だから愛してる。アナウンスが流れた。間もなく最寄り駅に降り立つ。

 

Watch your step

引っ越して1ヶ月と経たずに帰省した。おじいちゃんの容態が急変してゴールデンウィークまではもたないらしい。葬式は来なくてもいいけど意識があるうちに会ったほうがいいと満場一致で決まったので、すぐに有給と飛行機を取ってリュックひとつで飛んだ。1ヶ月ぶりの札幌はべつに懐かしくもなんともなかった。寒いけど思ったほどではないし、店の顔ぶれも変わらない。今って帰ったとしてもお見舞いとかだめなんじゃないのと言ったら、もう緩和ケアをするしかないおじいちゃんには日にふたりまでであれば無礼講で会えるらしい。最後に会ったとき、いつも通りセブンスターを吸いながら少しぶっきらぼうに政治番組を眺めていたお洒落なおじいちゃんはもういなかった。虚ろな目をしてよれよれの病院着を纏ったおじいちゃんは、私がまだコンビニでバイトをしていると思っていた。サスペンダーをつけたラルフローレンのシャツのポケットにくしゃっと潰れた煙草の箱が入っているところ、格好いいなって思ってたから、ダサいチェックのパジャマみたいなのを着せられていることがなんか悲しかった。いつも焼酎ばかり飲んでいたおじいちゃんはペットボトルのブラックコーヒーを大人しく飲んでいた。私は死というものを仕方のないことだと思っているから、たぶん家族が亡くなってもあまり悲しまずに済むけれど、お母さんかおじいちゃんが亡くなったらものすごく悲しい。熱烈に結婚願望があるわけではなく、独身のまま生きていくんだろうと思ってはいたけど、つっけんどんに見えて案外涙脆いおじいちゃんが、私の花嫁姿を見てぼろぼろ泣いてるところを見たいとずっと願っていた。間に合わなくてごめん。湿っぽい美談になんてするつもりはないから泣かなかったし、泣かない。明日になったら弁当をこさえて出勤して、いつも通り業務をこなして、安く買った鶏肉を炒めて彼氏の帰りを待つ。それだけのこと。職場で白い恋人を配っても、いきなり帰省する理由を詮索してこない職場のひとたちに本当の理由を話すことはない。Watch your step、空港の動く歩道がそう無機質に語りかけてくるのを何よりも懐かしく思っていることに気づく。

なんとなくわかった気がしてきて

暮らし向きを整えている、最近は。

 

生まれてこのかた自堕落な実家暮らしを送ってきたものだから、いちから自分の手でつくりあげていく生活が楽しくて仕方ない。水仕事で手が荒れてきたし、日曜日の「最近の幸せといえば美味しいものを食べる事で 確か前はもっと大それた事を語ってたはずなのにな」という歌詞がものすごく沁みるようにもなってきた。結婚こそしていないけど、有り体にいえば所帯染みてきたのかもしれない。エンタメを摂取する時間もなくなって、つまらない女になっていくのがわかるけど、でもどうしようもなく幸せだ。遠距離恋愛しかしたことのない私には、同じテーブルを囲んでどちらかの手料理を食べるというそれだけが、あまりにも幸せすぎてたまらない。

 

家事の分担とかってどうしよう……とずっと怯えていたのだが、土日休みとシフト制のふたりで暮らしはじめると、自然と最適な形に落ち着いた。家を出る時間が違うから、朝は無理に食卓を共にせずセルフでパンを焼いたり、つくりおきのおかずをめいめい食べる。金土日の夜ごはんを彼氏がつくり、あとの平日は定時で帰れる私が担当する。皿洗いや洗濯は、手の空いてるほうがやるのではなくて、相手が疲れていそうだと思えば「任せろ!」と言ってすすんでやる。ふたりの生活がある、というより、ひとりずつの生活がそれぞれあって、重なりあったところを補いあっている。

 

まだ10日ほどしか一緒に住んでいないわけで、現時点でスムーズなのも当たり前なのかもしれないけど、なんかうまくやっていけそうな気はする。ペットボトルや調味料のふたは開けっ放し、服もあちこちに脱ぎ捨てる私の彼氏と暮らすのがストレスになる人はいるだろう。眠いからってごはんの途中で家事も任せて眠ってしまう私に付き合ってられない人はいくらでもいるだろう。今のところは、かもしれないけど、私たちはそういうお互いのズボラさは許容範囲だし、だからもうしばらくは楽しく暮らしていけそうだと思ってる。好みやこまかい価値観が合わなくても、尊重して妥協点を見つけていけるならそれでいい。修正しつつやってこーぜ、ってな感じでいまは生活がすごく楽しい。

 

海沿いをあるく

ひとりで海をみにいった。砂浜で走るでもなく、膝までじゃぶじゃぶ浸かるでもなく、ただ潮風に髪をなびかせながら海をみるのが好きだ。海にちなんだ名前を与えられて生まれた私は、きっと海を好きになると初めから決まっていた。

 

もうマフラーのいらない季節といえども海風はつめたいから、あらかじめ巻いてきたストールを固く結びなおす。ホットレモンをコートのポケットにしまって海岸沿いを歩けば、バイクを停めて黄昏れるライダーや、夕日を背景に自撮りするカップル、アコギを爪弾く青年など、春の海には案外いろんなひとがいる。

 

ひとけのない辺りまで行き着くと、腹の高さまである防波堤に登って腰掛けた。 ホットレモンを飲み、back numberの海岸通りを流す。髪を切ったあとに海に来るなんて失恋でもしたみたいだけど、今から同棲するにあたって故郷の海を懐かしむための、あかるいお別れのための時間なのだ、これは。

 

23年間過ごしたこの街のこと、大嫌いで愛してる。海のない新しい街は私の肌に馴染むだろうか。今は不安よりも期待のほうが強くて、実感もそんなになくて、たぶん、引っ越してしばらくしてから打ちのめされて寂しくなるんだろう。戻れないことはないけど、戻るつもりのない片道切符の旅。寒くなって防波堤を飛び降りたとき、少しよろめいて、かっこつけきれない感じがなんか私らしくてちょっと泣きそうになった。かっこわるくてもちゃんと歩いてみるから、見てて。

 

グリッター

運転免許を取得した。通っていた自動車学校には卒業を間近に控えた高校生ばかりがいて、まだ染めていない黒髪や、あるいは染めたての明るい茶髪の群れのことをいつも眩しいと思っていたけれど、免許センターの年齢層の中では、大学をとっくに卒業した私はそんなに浮かなかった。学科試験は思ったより意地悪じゃなかった。秘書検定のほうがよほど底意地が悪い。

免許センターの食堂、というものを密かに楽しみにしていた。免許センターの食堂。イオンのフードコートとか、サービスエリアのご飯と似たニュアンスのわくわくが含まれた響き。私が食べたカツカレーはわりと人気だったように思うが、頼んでいたのは高校生男子がメインだった。寂れているけど活気のある食堂でおばちゃんが出してくれるカツカレー、ほど良いカツカレーがこの世にあるんだろうか。この世で最も良いカツカレーだった。

懇切丁寧にコンシーラーで青クマを消し、元から子持ちししゃものように膨れている涙袋にさらにラメをのせて強調しまくり、フォトショさながらの化粧を施していったのに、2秒で撮られた証明写真は中国のおばさんみたいでめちゃくちゃウケてしまった。背筋を正す前に撮らないでほしい。これはこれで面白いので更新までネタにし続けようと思う。

山椒のかおり

あと10日で生まれ育った街を出る実感がどうもない。はじめて実家を出て、親元を離れて生活をするということ。同棲をはじめるということ。はじめて正社員として社会に出るということ。「初めて」のビックバンが重なりに重なって、もう不安なんて通り越してどっからでもかかってきやがれという感じである。マリオの星を頬張った気持ち。

 

彼氏のあとを追ってまるで知らない土地に引っ越してしまうなんて馬鹿げてる、というようなことは、面と向かって言われはしないけど言いたげな空気は感じてる。日本中をびゅんびゅん遠征してきた私にとっては、あるいは、海外移住して国際結婚でもしそうと散々言われてきた私にとっては、国内程度ならそんなに大したことなくてラッキーだ。言葉も通じるし。日本語圏や英語圏ですらない国のひとに惚れていなくて助かったと思ってる。それと、距離なんてもののために手放していいのだろうかと思えるひとに、短い人生のあいだでそう何人も出会えるかって話。

 

憧れの仕事に受かって、その足ですぐ仕事終わりの彼氏と落ち合って、お祝いにうなぎを食べた。お通しに出てきた刺身もメインのうなぎも景気づけに頼んだ日本酒も、ぜんぶおいしくて、ぜんぶ幸せだった。「なんか私、走馬灯に今日のこの映像出てくると思うわ」と言った。その瞬間ちょうど、うなぎがおいしすぎて無意識に鼻の穴を膨らませていた彼氏が、「え、おれのこの顔が?走馬灯に?」と困惑しつつも満更でもなさそうにしていた。嬉しそうだからそういうことにした。向こうでつらくなったら、そのことを繰り返し思い出そう、と思っている。

 

手繰る

運命を手繰り寄せるようにここへ来た。そう思った。すべての試練は縒り合わさってこの道へ繋がっていたと思える地を、あのとき、まだ履き慣れないパンプスの踵で確かに踏みしめた。

 

 

動き出した瞬間からすべてが奇跡だった。これから住む街に、僥倖のように転がっていた憧れの仕事。私のことをよく知っている誰に話しても、それはさすがに運命すぎない?受かるでしょ運命だから、とかならず言われた。傲慢ながら私もそう思った。でも「なんとかなる」ものなんてなくて、「なんとかする」しかないのだ。私がこの手で。

 

そして実際、なんとかした。これで私が受からなくて誰が受かるんだろうと、高校受験のときも大学受験のときも思ったことをまた思った。とはいってもそんなにうまくいくのならズルズルと就職浪人もしていないわけで、うーん、でもなんとかなるっしょあまりにも運命的だし、なんて思っていたら着信があった。2年にも及んだ就活は、たった2時間後にかかってきた内定の電話で幕を閉じた。

 

 

 

実家を出たら都会か港町に住みたいと思っていたし、いまもまだそのチャンスを虎視眈々と狙っている。でも私にはいまこの街に呼ばれた理由がきっとあって、これからそれを探す。

 

これから私のものになる遠い街は、私の街ほどではないけれどコートの襟をかきあわせたくなる寒さで、それがなんでかほっとして嬉しかった。