あおいろ濃縮還元

虎視眈々、日々のあれこれ

なんとなくわかった気がしてきて

暮らし向きを整えている、最近は。

 

生まれてこのかた自堕落な実家暮らしを送ってきたものだから、いちから自分の手でつくりあげていく生活が楽しくて仕方ない。水仕事で手が荒れてきたし、日曜日の「最近の幸せといえば美味しいものを食べる事で 確か前はもっと大それた事を語ってたはずなのにな」という歌詞がものすごく沁みるようにもなってきた。結婚こそしていないけど、有り体にいえば所帯染みてきたのかもしれない。エンタメを摂取する時間もなくなって、つまらない女になっていくのがわかるけど、でもどうしようもなく幸せだ。遠距離恋愛しかしたことのない私には、同じテーブルを囲んでどちらかの手料理を食べるというそれだけが、あまりにも幸せすぎてたまらない。

 

家事の分担とかってどうしよう……とずっと怯えていたのだが、土日休みとシフト制のふたりで暮らしはじめると、自然と最適な形に落ち着いた。家を出る時間が違うから、朝は無理に食卓を共にせずセルフでパンを焼いたり、つくりおきのおかずをめいめい食べる。金土日の夜ごはんを彼氏がつくり、あとの平日は定時で帰れる私が担当する。皿洗いや洗濯は、手の空いてるほうがやるのではなくて、相手が疲れていそうだと思えば「任せろ!」と言ってすすんでやる。ふたりの生活がある、というより、ひとりずつの生活がそれぞれあって、重なりあったところを補いあっている。

 

まだ10日ほどしか一緒に住んでいないわけで、現時点でスムーズなのも当たり前なのかもしれないけど、なんかうまくやっていけそうな気はする。ペットボトルや調味料のふたは開けっ放し、服もあちこちに脱ぎ捨てる私の彼氏と暮らすのがストレスになる人はいるだろう。眠いからってごはんの途中で家事も任せて眠ってしまう私に付き合ってられない人はいくらでもいるだろう。今のところは、かもしれないけど、私たちはそういうお互いのズボラさは許容範囲だし、だからもうしばらくは楽しく暮らしていけそうだと思ってる。好みやこまかい価値観が合わなくても、尊重して妥協点を見つけていけるならそれでいい。修正しつつやってこーぜ、ってな感じでいまは生活がすごく楽しい。

 

海沿いをあるく

ひとりで海をみにいった。砂浜で走るでもなく、膝までじゃぶじゃぶ浸かるでもなく、ただ潮風に髪をなびかせながら海をみるのが好きだ。海にちなんだ名前を与えられて生まれた私は、きっと海を好きになると初めから決まっていた。

 

もうマフラーのいらない季節といえども海風はつめたいから、あらかじめ巻いてきたストールを固く結びなおす。ホットレモンをコートのポケットにしまって海岸沿いを歩けば、バイクを停めて黄昏れるライダーや、夕日を背景に自撮りするカップル、アコギを爪弾く青年など、春の海には案外いろんなひとがいる。

 

ひとけのない辺りまで行き着くと、腹の高さまである防波堤に登って腰掛けた。 ホットレモンを飲み、back numberの海岸通りを流す。髪を切ったあとに海に来るなんて失恋でもしたみたいだけど、今から同棲するにあたって故郷の海を懐かしむための、あかるいお別れのための時間なのだ、これは。

 

23年間過ごしたこの街のこと、大嫌いで愛してる。海のない新しい街は私の肌に馴染むだろうか。今は不安よりも期待のほうが強くて、実感もそんなになくて、たぶん、引っ越してしばらくしてから打ちのめされて寂しくなるんだろう。戻れないことはないけど、戻るつもりのない片道切符の旅。寒くなって防波堤を飛び降りたとき、少しよろめいて、かっこつけきれない感じがなんか私らしくてちょっと泣きそうになった。かっこわるくてもちゃんと歩いてみるから、見てて。

 

グリッター

運転免許を取得した。通っていた自動車学校には卒業を間近に控えた高校生ばかりがいて、まだ染めていない黒髪や、あるいは染めたての明るい茶髪の群れのことをいつも眩しいと思っていたけれど、免許センターの年齢層の中では、大学をとっくに卒業した私はそんなに浮かなかった。学科試験は思ったより意地悪じゃなかった。秘書検定のほうがよほど底意地が悪い。

免許センターの食堂、というものを密かに楽しみにしていた。免許センターの食堂。イオンのフードコートとか、サービスエリアのご飯と似たニュアンスのわくわくが含まれた響き。私が食べたカツカレーはわりと人気だったように思うが、頼んでいたのは高校生男子がメインだった。寂れているけど活気のある食堂でおばちゃんが出してくれるカツカレー、ほど良いカツカレーがこの世にあるんだろうか。この世で最も良いカツカレーだった。

懇切丁寧にコンシーラーで青クマを消し、元から子持ちししゃものように膨れている涙袋にさらにラメをのせて強調しまくり、フォトショさながらの化粧を施していったのに、2秒で撮られた証明写真は中国のおばさんみたいでめちゃくちゃウケてしまった。背筋を正す前に撮らないでほしい。これはこれで面白いので更新までネタにし続けようと思う。

山椒のかおり

あと10日で生まれ育った街を出る実感がどうもない。はじめて実家を出て、親元を離れて生活をするということ。同棲をはじめるということ。はじめて正社員として社会に出るということ。「初めて」のビックバンが重なりに重なって、もう不安なんて通り越してどっからでもかかってきやがれという感じである。マリオの星を頬張った気持ち。

 

彼氏のあとを追ってまるで知らない土地に引っ越してしまうなんて馬鹿げてる、というようなことは、面と向かって言われはしないけど言いたげな空気は感じてる。日本中をびゅんびゅん遠征してきた私にとっては、あるいは、海外移住して国際結婚でもしそうと散々言われてきた私にとっては、国内程度ならそんなに大したことなくてラッキーだ。言葉も通じるし。日本語圏や英語圏ですらない国のひとに惚れていなくて助かったと思ってる。それと、距離なんてもののために手放していいのだろうかと思えるひとに、短い人生のあいだでそう何人も出会えるかって話。

 

憧れの仕事に受かって、その足ですぐ仕事終わりの彼氏と落ち合って、お祝いにうなぎを食べた。お通しに出てきた刺身もメインのうなぎも景気づけに頼んだ日本酒も、ぜんぶおいしくて、ぜんぶ幸せだった。「なんか私、走馬灯に今日のこの映像出てくると思うわ」と言った。その瞬間ちょうど、うなぎがおいしすぎて無意識に鼻の穴を膨らませていた彼氏が、「え、おれのこの顔が?走馬灯に?」と困惑しつつも満更でもなさそうにしていた。嬉しそうだからそういうことにした。向こうでつらくなったら、そのことを繰り返し思い出そう、と思っている。

 

手繰る

運命を手繰り寄せるようにここへ来た。そう思った。すべての試練は縒り合わさってこの道へ繋がっていたと思える地を、あのとき、まだ履き慣れないパンプスの踵で確かに踏みしめた。

 

 

動き出した瞬間からすべてが奇跡だった。これから住む街に、僥倖のように転がっていた憧れの仕事。私のことをよく知っている誰に話しても、それはさすがに運命すぎない?受かるでしょ運命だから、とかならず言われた。傲慢ながら私もそう思った。でも「なんとかなる」ものなんてなくて、「なんとかする」しかないのだ。私がこの手で。

 

そして実際、なんとかした。これで私が受からなくて誰が受かるんだろうと、高校受験のときも大学受験のときも思ったことをまた思った。とはいってもそんなにうまくいくのならズルズルと就職浪人もしていないわけで、うーん、でもなんとかなるっしょあまりにも運命的だし、なんて思っていたら着信があった。2年にも及んだ就活は、たった2時間後にかかってきた内定の電話で幕を閉じた。

 

 

 

実家を出たら都会か港町に住みたいと思っていたし、いまもまだそのチャンスを虎視眈々と狙っている。でも私にはいまこの街に呼ばれた理由がきっとあって、これからそれを探す。

 

これから私のものになる遠い街は、私の街ほどではないけれどコートの襟をかきあわせたくなる寒さで、それがなんでかほっとして嬉しかった。

 

ノンフィクションをやきつけて

無駄に見えるものに宿る情熱を信じたい。

 

 

流行病が広まったことで私の愛した音楽は、ライブハウスという場所は、忌むべき不用品のように蹂躙された。愛してやまないライブハウスへ久々に足を運べることを、私は誰にも言えなかった。誰が悪いわけでもなかった。そのことが悲しかった。でも、色を喪った人生に色をつけるのもまた音楽だった。不要不急にも見える芸術で私は息をしていて、どうしようもなく愛しているんだとわからされた。

 

 

 

中学のときは美術部で絵を描き、高校にあがると文芸部にて言葉を紡いで、大学に入って文学を専門に学び、思えば私は人生を芸術に費やしている。

 

そんなものが何になるんだとずっと言われてきた。ずっと。絵を描いて何になる。小説が書けて何になる。語学や文学を学んだところで就職に何の役が立つ。ずっと。ずっと。

 

なんの役に立たなくてもいいのだ、芸術は。私が私らしくあるために、呼吸をするために芸術は存在する。大好きなバンドの初武道館公演を観て、そんな基本的なことを痺れるほど実感した。

 

 

誰かにとっては無駄かもしれない。だけど私にとっては、私のような人間にとってはかけがえのない酸素なんだということを、芸術は無駄じゃないってことを、人生かけて証明したい。私の愛したアーティストたちがそうであるように。

 

 

 

「芸術は無駄じゃない」 ということを証明したくて、私、生きてるのかもしれない。

大袈裟じゃなくそう思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あー、いつか仕事で対等に携われるまで死ねないな、と思うのです。

 

「このまま僕は曖昧な最終回なんて過ごしたくはないよ」と人生賭けて鳴らす彼らの姿が眩しくて、眩しくて、でもいつか同じスポットライトの下に照らされたいと思った。

 

 

ソルベ

親友と最後に会ったのはちょうど1年前、疫病が流行し始めた頃だった。元気にしてた?と待ち合わせ早々に腕を掴んではしゃぐ姿は、ブランクがあったと思えないほどいつも通りで、何だかすごくほっとした。乗り換えの方向を間違えたり、道を間違えて同じところをぐるぐる回ったりしてもすべてが楽しくて、寂れたショッピングモールですら一緒に歩くとキラキラして見えて、「光の街」のヒロインを彼女に重ねて聴いていたことを思い出す。

 

空腹だからパフェにカレーもつけるかどうか悩む彼女に、じゃあカレーも頼も!と言った私は実は会う直前にドリアを食べていた。私たちはそういうとこがある。いつか映画を観ようと誘ったとき、映画館に入ってポップコーンを買った直後に「じつはこの映画こないだ観たんだよね」と告白されたことがある。私たちは、そういうとこがある。

 

きっと普通に会えるのはこれが最後だろうと確認はしなくてもお互いわかっていたから、いつもはしない昔話をやたら多めにした。あのふたりこっそり付き合ってたんだって、私はこっそり付き合うどころか好きな人すらいなかったな、私もずっと中学の頃好きだった人引きずってたから青春とかなかったよ、あーあの卓球部の、よく覚えてるねそんなこと。そう言った私だって彼女と当時話した些細な会話の一つひとつ、冷凍保存したみたいにくっきり覚えていて、忘れるわけもない。別れ際に「私のこと忘れないでね」と言われたけれど、1年会わなくても数年に1度しか会えなくなっても、私は永遠に彼女のことを親友だと思っている。なんだか泣きそうになってしまって月並みなことしか言えなかったけど、わかってくれてると思ってる。

 

あーあ、私は昔っから親友のことあまりにも大好きで、たぶんどうしようもなく愛している。ピンクベージュのネイルを塗った指先に、ちょっとでも可愛く見られたくて涙袋にのせた白いシャドウのラメがくっついて、なんだか胸がいっぱいになって、あの頃よく聴いていたback numberを再生する。