あおいろ濃縮還元

虎視眈々、日々のあれこれ

山椒のかおり

あと10日で生まれ育った街を出る実感がどうもない。はじめて実家を出て、親元を離れて生活をするということ。同棲をはじめるということ。はじめて正社員として社会に出るということ。「初めて」のビックバンが重なりに重なって、もう不安なんて通り越してどっからでもかかってきやがれという感じである。マリオの星を頬張った気持ち。

 

彼氏のあとを追ってまるで知らない土地に引っ越してしまうなんて馬鹿げてる、というようなことは、面と向かって言われはしないけど言いたげな空気は感じてる。日本中をびゅんびゅん遠征してきた私にとっては、あるいは、海外移住して国際結婚でもしそうと散々言われてきた私にとっては、国内程度ならそんなに大したことなくてラッキーだ。言葉も通じるし。日本語圏や英語圏ですらない国のひとに惚れていなくて助かったと思ってる。それと、距離なんてもののために手放していいのだろうかと思えるひとに、短い人生のあいだでそう何人も出会えるかって話。

 

憧れの仕事に受かって、その足ですぐ仕事終わりの彼氏と落ち合って、お祝いにうなぎを食べた。お通しに出てきた刺身もメインのうなぎも景気づけに頼んだ日本酒も、ぜんぶおいしくて、ぜんぶ幸せだった。「なんか私、走馬灯に今日のこの映像出てくると思うわ」と言った。その瞬間ちょうど、うなぎがおいしすぎて無意識に鼻の穴を膨らませていた彼氏が、「え、おれのこの顔が?走馬灯に?」と困惑しつつも満更でもなさそうにしていた。嬉しそうだからそういうことにした。向こうでつらくなったら、そのことを繰り返し思い出そう、と思っている。

 

手繰る

運命を手繰り寄せるようにここへ来た。そう思った。すべての試練は縒り合わさってこの道へ繋がっていたと思える地を、あのとき、まだ履き慣れないパンプスの踵で確かに踏みしめた。

 

 

動き出した瞬間からすべてが奇跡だった。これから住む街に、僥倖のように転がっていた憧れの仕事。私のことをよく知っている誰に話しても、それはさすがに運命すぎない?受かるでしょ運命だから、とかならず言われた。傲慢ながら私もそう思った。でも「なんとかなる」ものなんてなくて、「なんとかする」しかないのだ。私がこの手で。

 

そして実際、なんとかした。これで私が受からなくて誰が受かるんだろうと、高校受験のときも大学受験のときも思ったことをまた思った。とはいってもそんなにうまくいくのならズルズルと就職浪人もしていないわけで、うーん、でもなんとかなるっしょあまりにも運命的だし、なんて思っていたら着信があった。2年にも及んだ就活は、たった2時間後にかかってきた内定の電話で幕を閉じた。

 

 

 

実家を出たら都会か港町に住みたいと思っていたし、いまもまだそのチャンスを虎視眈々と狙っている。でも私にはいまこの街に呼ばれた理由がきっとあって、これからそれを探す。

 

これから私のものになる遠い街は、私の街ほどではないけれどコートの襟をかきあわせたくなる寒さで、それがなんでかほっとして嬉しかった。

 

ノンフィクションをやきつけて

無駄に見えるものに宿る情熱を信じたい。

 

 

流行病が広まったことで私の愛した音楽は、ライブハウスという場所は、忌むべき不用品のように蹂躙された。愛してやまないライブハウスへ久々に足を運べることを、私は誰にも言えなかった。誰が悪いわけでもなかった。そのことが悲しかった。でも、色を喪った人生に色をつけるのもまた音楽だった。不要不急にも見える芸術で私は息をしていて、どうしようもなく愛しているんだとわからされた。

 

 

 

中学のときは美術部で絵を描き、高校にあがると文芸部にて言葉を紡いで、大学に入って文学を専門に学び、思えば私は人生を芸術に費やしている。

 

そんなものが何になるんだとずっと言われてきた。ずっと。絵を描いて何になる。小説が書けて何になる。語学や文学を学んだところで就職に何の役が立つ。ずっと。ずっと。

 

なんの役に立たなくてもいいのだ、芸術は。私が私らしくあるために、呼吸をするために芸術は存在する。大好きなバンドの初武道館公演を観て、そんな基本的なことを痺れるほど実感した。

 

 

誰かにとっては無駄かもしれない。だけど私にとっては、私のような人間にとってはかけがえのない酸素なんだということを、芸術は無駄じゃないってことを、人生かけて証明したい。私の愛したアーティストたちがそうであるように。

 

 

 

「芸術は無駄じゃない」 ということを証明したくて、私、生きてるのかもしれない。

大袈裟じゃなくそう思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あー、いつか仕事で対等に携われるまで死ねないな、と思うのです。

 

「このまま僕は曖昧な最終回なんて過ごしたくはないよ」と人生賭けて鳴らす彼らの姿が眩しくて、眩しくて、でもいつか同じスポットライトの下に照らされたいと思った。

 

 

ソルベ

親友と最後に会ったのはちょうど1年前、疫病が流行し始めた頃だった。元気にしてた?と待ち合わせ早々に腕を掴んではしゃぐ姿は、ブランクがあったと思えないほどいつも通りで、何だかすごくほっとした。乗り換えの方向を間違えたり、道を間違えて同じところをぐるぐる回ったりしてもすべてが楽しくて、寂れたショッピングモールですら一緒に歩くとキラキラして見えて、「光の街」のヒロインを彼女に重ねて聴いていたことを思い出す。

 

空腹だからパフェにカレーもつけるかどうか悩む彼女に、じゃあカレーも頼も!と言った私は実は会う直前にドリアを食べていた。私たちはそういうとこがある。いつか映画を観ようと誘ったとき、映画館に入ってポップコーンを買った直後に「じつはこの映画こないだ観たんだよね」と告白されたことがある。私たちは、そういうとこがある。

 

きっと普通に会えるのはこれが最後だろうと確認はしなくてもお互いわかっていたから、いつもはしない昔話をやたら多めにした。あのふたりこっそり付き合ってたんだって、私はこっそり付き合うどころか好きな人すらいなかったな、私もずっと中学の頃好きだった人引きずってたから青春とかなかったよ、あーあの卓球部の、よく覚えてるねそんなこと。そう言った私だって彼女と当時話した些細な会話の一つひとつ、冷凍保存したみたいにくっきり覚えていて、忘れるわけもない。別れ際に「私のこと忘れないでね」と言われたけれど、1年会わなくても数年に1度しか会えなくなっても、私は永遠に彼女のことを親友だと思っている。なんだか泣きそうになってしまって月並みなことしか言えなかったけど、わかってくれてると思ってる。

 

あーあ、私は昔っから親友のことあまりにも大好きで、たぶんどうしようもなく愛している。ピンクベージュのネイルを塗った指先に、ちょっとでも可愛く見られたくて涙袋にのせた白いシャドウのラメがくっついて、なんだか胸がいっぱいになって、あの頃よく聴いていたback numberを再生する。

 

 

かぞえる

さっきから大粒の雪がこんこんと降っている。こんこんと、というのは泉などから水がたくさん湧き出すさまのことを指す言葉なので不適当かもしれないけど、「しんしんと」などと言うほど大人しい降り方ではないからやっぱり「こんこんと」が合っていると思う。真っ白く曇った空から湧き出る水のように雪は降りつづけている。

 

この頃は余裕がなくて、ダウンロードした映画も15分ほど視聴したあたりで止まっているし、読みかけの本など4冊ある。本や映画やライブ(最近では配信)だとか、私の心の拠り所になってくれるエンタメたちは、しかし本当に心に余裕がないときは享受することができない。好きな本を読んで元気になりたいのに、本を読むための元気がない。だからもっぱら頭を使わなくても観られるYouTubeをぼーっと眺めてむりやり笑ったり、あったかい飲み物を飲んだり、強制的に湯船に浸かったりして、強引に元気を引き出すべくがんばっている。

 

最近しあわせだなあと思ったのは、食べたいと思っていたタイミングで母が買ってきたみずみずしいいちご大福と、スーパーでおそるおそる買った半額のラテがかなり美味しかったこと。理不尽や不条理にぶん回されながら、そういう細かいしあわせを味がなくなるまで噛みつづけたい。あした、試験が終わったらひとりで暖簾をくぐって、ネギだくの味噌ラーメンを思いっきり食べようと思う。

 

泡のような日々よさらば

大好きなバイト先が閉店することになり、今日が私の出勤する最後の日だった。

 

ほんとうに愛していた、この場所のこと。まだバイトを始める前、20歳を迎えてはじめてお酒を飲む場所に選んだのもここだった。店に漂う雰囲気のすべてが落ち着いていて大人っぽくて、ずっと憧れていた。

 

高校を卒業してすぐ、初めてのバイトを何にするか迷っていて、そのうちの有力候補がここだった。悩んでいるうちにべつのバイトに誘われて、そこで2年ほど働いたけれど、結局その店も潰れることになって、じゃあ次こそは!と迷わず応募した。その場で採用されて、今に至るまで3年間働くことになる。

 

いまは全国に散らばった大切な友人たちとも、彼氏とも、ここで出会った。ここに集まる人たちはびっくりするほど善良で、やさしくて、でもみんなどこか個性的だった。「男女間にも友情は成立する」と信じている男女間にであれば、真の友情は成立するのだと知った。片方に下心があればたやすく崩れうることも。

 

なにもかも楽しかった。今日飲みたくない?と誰かが仕事中に言い出せば、退勤後そのまま終電に乗って宅飲みした。将来のこと、恋愛に関すること、なんでもかんでも話した。なんで好きな人ができないんだろう、と友達の前であれだけ管を巻いていた手前、まさか先輩に言い寄られていることは言えなかったけど。付き合ってからも少しだけ秘密にしていたこと、同じアパートから出勤して何食わぬ顔で働いていたこと、ごめんねって思ってる。許せ。

 

どんなに辛いことがあっても出勤すれば誰かしら大好きな友達がいて、それだけで救われていた。遅くやってきた青春だった。思い出のすべてが煌めいてた。あれが人生のハイライトだったよねって、友達が時々しみじみと言うこと、ほんとうにその通りかもしれないと思ってる。しあわせな夢を見せてくれてありがとう。

 

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お酒がのみたい気分だけど明日も早いからノンアルにする。おやすみなさい。

 

惜冬キャラメリゼ

住む部屋を決めにはるばる飛んだ。ただ会うということが不要不急にあたってしまう私たちは、内見でもいう大義名分がないとゆうに半年は会えない。半年ぶりに会った彼氏の声は、いつも聞いていた電話の声とちょっと違って聞こえた。少し前までペーパードライバーだった彼氏は、公共交通機関に乗らないために慣れない高速道路を何度も走ってくれた。座り慣れない助手席で私は読めない地図を睨んだ。元から仲は良かったけれど、息のぴったり度合いが恐ろしく研ぎ澄まされており、お互いの目の動きや間合いでなんとなく考えていることが分かるようになっていた。付き合いたての頃よりもずっと、何をするにも楽しくてひたすら笑い転げていた。美しいケーキの並ぶショーケースを前に、せーので食べたいのを指そうとなったとき、ひとつしか残っていない柚子のシブーストを同時に示したこと。突然ノリで社交ダンスごっこを始めたけれど、双方身体が固すぎてまるでサマにならなかったこと。道の駅で売っていたお風呂に浮かべるうんちのおもちゃ(買わなかった)。味噌煮込みうどんの染みだらけになった白いセーター。田舎のラブホみたいな外観の、ハウリングしまくるカラオケボックス。私が人生初めて食べる冷麺に感動しすぎて、肝心の焼肉そっちのけで冷麺を食べまくったこと。空港へ向かう道中にふたりともコーヒーを飲みすぎて、慌ただしくトイレに駆け込んだこと。お互いしんみりした雰囲気が苦手すぎて、別れ際になるとオーバーすぎるほどおどけてしまうこと。特に煌めきを伴って思い出すのはそんなどうでもいいことばかりだ。どうでもよくて、くだらなくて、でもそういうもので私はしばらく息ができる。片道切符で会いに行く春のために、結局半分こしたケーキの甘さを何度でも噛みしめる。