あおいろ濃縮還元

虎視眈々、日々のあれこれ

あぐらをかかない

運命の人はいるとかいないだとか、いるとしたらそれは人生にふたり現れるのだとか、様々な運命論が提唱されて久しい。私が考えるに「運命の人」とは、ある人にとっての神や幽霊と一緒で、つまりいると思う人にはいるし、いないと思う人にはいないのだ。私の論では。

 

私の場合、「運命の人はふたりいる説」になぞらえれば、別れのつらさを教えてくれるというひとりめが初恋の人で、永遠の愛を教えてくれるふたりめが今の彼氏だと思う。初恋の人とは付き合ってもないのに烏滸がましいけど。

 

だけど、運命の人がいるにしてもいないにしても、運命とかいう綺麗な言葉にあぐらかいて怠けていちゃ百年の恋もだめになる。国中を探してシンデレラを見つけた王子様だって、見つけ出したことに安堵して愛を囁かずにいたら、身分違いの恋に疲れ果てたシンデレラが城の掃除夫と駆け落ちしても文句は言えない。バッドエンドは紡ぎ続ければハッピーエンドになるかもしれないが、ハッピーエンドも数年経てばバッドエンドで終わり得る。

 

運命だろうとなんだろうと、ろくに歩み寄る努力もせずなんとかなるだろうとたかを括っていれば、壊れるものは壊れる。タイミングや相性の良さにあぐらをかかないで死に物狂いでハッピーエンドをやり続けるしかない。王子様の白馬の足が折れたならドレスの裾たくし上げて自分で走るしかない。なんとかする、しかないのだ。

 

あ、もうだめだ。と思うたびに強引に人間関係を絶ってきた。部活もバイトも友達も何もかも。私がいなくなってもあちらに代わりはいくらでも見つかるし、私にしたってそうだと。今はそう思えなくてもいつかそうなると。実際そうなってきたけれど、今回ばかりは一時の気の迷いで投げ打っていい相手じゃないから、どんな小さな不安もとことん話し合って落とし所を見つけている。喧嘩はしていないものの、細かい軌道修正を繰り返してどうにかやってる。よく聞く「(運命の相手なんていないから)運命にするしかない」というのはどちらかといえばこういうことを指すのかな。

 

私は運命はあると思うけど、運命にあぐらかいてないで幸せは自分で掴みにいく。愛されていることに怠けないし、怠けさせもしたくない。いまはそう思っている。