あおいろ濃縮還元

虎視眈々、日々のあれこれ

なのに

いま、敏感な人は本当にこれは読まないでほしいけど、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

という前置きをしたうえでこれを読む人は同じように思っているかもしれないが、心底うんざりしてる。辟易してる。社会の情勢にじゃない。身の回りにこんなに馬鹿が大勢いると思わなかった。まだ若かったのに、とか、あんなに格好良かったのに、あんなに綺麗だったのに、家庭があったのに、仕事熱心だったのに、あんなに素晴らしい人だったのに、片鱗なんてなかったのに、勿体ない、どうして、なんて馬鹿みたいなことを、自分の身の回りの人が言い出すのを聞くのにはもううんざりしてる。恋人いなかったのかねえなんてピントのずれたことを言われるたび、この人は私がいきなり死を選んだって絶対にわかってくれないんだろうなと思って静かに絶望する。

 

若くなければ、格好良くも可愛くもなければ、親友も家庭もいなければ、見上げるような素晴らしい人物じゃなければ、じゃあ死んでもいいのかと言えば、絶対に違うと意見を翻すのだろう。いのちは平等なのだと、そういう説教じみたことを私は言いたいのではない。いくつもの「なのに」を積み重ねてもひとは死ぬ時は死ぬのだ。

 

毎日、死にたくなる。仲のいい家族や友人たちがいて、愛する彼氏がいて、打ち込める好きなことがあって、未来があって、それでも私は毎日死んでしまいたいと思っている。ふっ、と、糸が切れたようにいつ自分が死んでもおかしくないと思っている。結婚の話を着々と進めていたってそれとこれとは別で、言いようのないあの気分に襲われているときは周りの人間が悲しむかどうかなんて1ミリも考えられなくて、ただ死にたくなる。ありったけ愛を囁かれた翌日にトラックに飛び込んでしまいたくなる。結局私は死に至ってしまうほどの痛みを受け止める勇気がないチキンだから自死なんて選ばないけど、選択肢はいつだって脳裏にちらつく。周りからいくら恵まれているように見えたところで、死にたいものは死にたいと思ってしまう。

 

なんでどうしてと嘆かれている渦中の人間に、気持ちはわかるとかそんな烏滸がましいことは言わないけど、ただ「他人事じゃない」と思うのだ。他人事じゃない。本当に、他人事じゃない。