あおいろ濃縮還元

虎視眈々、日々のあれこれ

眼差す

まなざし、という言葉はそういえば「眼差し」と書くのだったなと、ジャズの流れる喫茶店で思い知る。

 

向かいでコーヒーを啜る先輩の傍らに、湯気で曇るからと折り畳まれた眼鏡が置いてある。私たちは長いこと先輩と後輩の関係性をやってきたけれど、数十分前に告白の返事をしてから、ゆるやかにギアが切り替わったように思う。関係が変わったところで今さら何が変わるんだ、と思っていたのが嘘みたいだった。いきなり呼び捨てにするでもないし、長年使い続けてきた敬語が今さら抜けるわけもないのだけど、それでも確実に、ゆっくりと、私たちを取り巻く空気が変わりはじめていた。澄んだ青空が深く暮れなずむように。朝が夜へ溶けていくように。このクッキー切手みたいな形してますねとか、いつも通りくだらないことを話していたって、時折交わる目線の柔らかさがまるで違っていた。

 

「本物のマンボウって見たことあります?」と突拍子もない話題を振ると、ん?とでも言うように先輩が顔を上げた。ほぼ無表情ではあったけれど、唐突にマンボウの話をはじめた私を見る目があんまりにも柔らかくて、普段見せる狐みたいにつめたい眼光とかけ離れすぎていて、あ、関係性が変わるってこういうことなんだと思い知った。リビングの大きな窓から降り注ぐ休日の日差し、みたいな、まなざし。差し込む光のようだから「眼差し」なんていうんだろうか。語源が違ったとしてもそっちのほうがなんかいいなあと思う。朝が夜へと移ろっていく、どちらでもない夕暮れの時分を、私はいま夕暮れ時にいるのだとはっきり自覚した瞬間を、覚えておきたい。「マンボウって柴田理恵に似た系統の顔してるんですよね」なんて一段とばかみたいなことを言いながらそう思っていた。