終わり、を迎え撃つ

しょうもない酒の席で喉を湿らすファジーネーブルよりも、気の合う友達と爆笑しながら飲む特売の生茶のほうがずっと美味しい。

 

真っ昼間からくだらない話で笑い転げる、過去も今も未来もすべての不安を忘れ去れるような時間を、それを与えてくれる人たちを、大切にしなきゃいかんな~~と思う。『同じ窓から見てた空』じゃないけど。

 

中学生までに好きになったものは一生続く、みたいな話、あながち嘘じゃなかった。あの頃好きでいた音楽も小説も友達も、卒業して5年以上経った今でも好きでいる。多分これからも。

 

 

 

恐らくMUSICAの2017年12月号に載っていたマイヘアインタビュー。出典は書いていなかったのだけど、あまりに心に刺さったので日記に引用してあった椎木さんの言葉。

「どうせこれは必ず終わると思ってるし、終わりを悟っちゃうんですよね。音楽とか抜きにして、すべてに対してすごくそう思います。恋人にもそうだし、お客さんにも。それは僕の中のシーンのひとつです。だから、全然安心できない。どんどん怖くなる」

 

猛烈にわかる。「これはいつか絶対に終わる」 と常に意識している。ライブの開始を待つときや、飛行機の離陸音をききながら目をつむるとき、なにか楽しいことが始まる前に、 「おなかすいたな」 とふと思うのと似た感じで、ごく自然に思う。

 

いつも終わりを意識しているくせに、終わりは怖い。中学最後の文化祭や卒業式で柄でもなく泣いたのは、合唱で金賞を取れなくて悔しかったからでも卒業が寂しかったからでもなくて、楽しかった時間が終わってしまうことが怖かったから。

 

卒業して、仲のいい友達と学校が離れたら、お互いほかの友達を作って、もうその子のことを思い出しもしなくなることが怖かった。お互いの人生にお互いが必要じゃなくなることが怖くて泣いていたけど、そんなこと考えるのは友達に失礼だと思って、でもやめられなくて、涙が止まらなかった。

 

このよくわかんない強迫観念みたいなもの、物心ついてから現在に至るまで悩まされているわけだけど、永遠はなくても半永久はあるんじゃないかなって最近は思う。

 

卒業したら疎遠になると思っていた中学や高校の友達とバリバリ仲いいし。小1から好きなコブクロは未だに大好きだし。大学卒業したら今の友達とも会わなくなるのかなと思っていたけど、会わなくなったら友達じゃなくなる、なんてことはないのだ。

 

永遠は信じないけど、半永久を信じたい。コブクロの『信呼吸』という曲に出てくる 「限りある永遠を一瞬で刻めば 果てしない数の物語が生まれる 君となら」 って歌詞。

その、「限りある永遠」 を信じたい。

 

親友と遊んだ帰りにどうしようもなく悲しくなるのとか、すごく楽しいのに 「この瞬間もいつか終わるんだな」 ってふと思うのとか、ライブの最中にふと我に返って寂しくなるあの感じ、もうやめたい。終わるのなんて当たり前で、いちいち悲しんでちゃキリがない。半永久的に続く幸せを、一瞬も逃さずに楽しみたい。

 

これを今年の目標とします。恐れない、なんてのはまだできないと思うから、いっそ開き直ってでも楽しむ。そんな時期あったね~若かったね~って梅酒ロックでも飲みながら笑ってこのブログを読み返す日が一刻も早く来ればいい。

 

あおでした。