ハタチになってから、人生設計について真面目に考えるようになった。
なんとなく適当な仕事に就いてそこそこ幸せに生きるか。いろんなもの犠牲にしてでも好きな道を突き進むか。考えるまでもなく私には後者しかないんだけど、いまいち腹を据えかねていた。
前も書いた通り、いきなり進路を決めた。これしかないと思いつつも踏ん切りがつかなかった。貴重な学生期間を捧げて、今だってつらいのに、これ以上の苦難を強いられながら突き進んでいくのは正直しんどいと思った。
でも。
誰でもこなせるような仕事に精を出し、同じような毎日を消費して、たまにライブや旅行に出かけることで日々に色を付けながら、旧友と集まっては昔話に花を咲かし、かつて描いた夢を数えながらゆっくり歳を重ねていく、
そんな人生をこれから60年ほども続けていけるのか、私は。
嫌だ。
ふざけんな、人生は短い。私はだいぶ生き急いでるから、長生きはできないと思う。どうせ早死にするなら好きなことして生きてやる。
もちろん 「好きなことをする」 っていうのと、「好きなことだけをする」 「好き勝手にやる」 というのは意味が違う。好きな仕事をやり続けるためには頑張らなくちゃいけないことも多いし、たくさん我慢も苦労もする。楽しいことと楽なことは違う。
好きなことをずっとやり続けていくためなら今どんなにしんどくたっていい。そうやって20年間生きてきた。この先もずーっとそれが続くと思うと心折れそうだけど。でも。
なんとなく幸せに1年過ごすより、364日苦難を強いられてもすべて報われる完璧な日が1日だけあればいい。とも思うんだよなあ~~。綺麗事なのかもしれないけど。
ずっとモヤモヤしてたのが、[Alexandros] の『spy』を聴いたらなんだか吹っ切れた。この曲を聴きながら、刺激がないかわりに安定した毎日を送るもうひとつの人生を想像して、ちょっと、ゾッとした。
私はぬるま湯みたいな人生を歩むのは嫌なんだと悟った。それも嫌いじゃないけど、しんどくたって好きなこと全力でしていたい。そっちの方が幸せだ。
社会人から見れば、私の考えはすっっごく甘くて青いこともわかってる。無謀だってわかってる。でも反対されたぐらいで諦められる夢って、夢じゃなくてもう気の迷いとしか呼べないと思う。
実際、夢ってほど大それたことじゃない。不器用で要領のよくない私には手が届かないってだけで。他の人から見たらつまらないかもしれない。そんなん知るか。私が楽しければいいんだよ。
幸いなことに私の周りの人たちは、私が言い出したら聞かないのを知ってるから、よくわからないけど頑張ってみたら?と言ってくれる。ありがたい。
綺麗事でも遠吠えでもどう思われたっていいよ。このままぬるま湯に浸かってるつもりはないんだよ。歩幅合わせてうだうだやってる場合じゃないんだよ。ねえ。
文章にしたら超すっきりしました。はーーーがんばる。
あおでした。