書く

ひとつ、忘れられないことがあります。

 

文章を書くのが小さい頃から好きで、高校で文芸部に入りました。小説や詩や短歌を書いて、部誌にまとめるのが主な活動でした。当時使っていた「えそら」というペンネームは、その頃よく聴いていたミスチルのエソラという曲から来ています。

 

楽しかったけど、きっかり1年で辞めました。向上心や闘争心が周りになさすぎて物足りなかった。このままなあなあで適当に褒め合ってても上達なんてしない、嫌いになる前に切ってしまおうと円満に辞めました(周りに迷惑はかけてしまいましたが)。

 

部活を辞めて、文章を書くことはなくなりました。それでもツイートやライブレポを褒めてもらえると心踊りました。一方通行じゃない、見てくれてる人がいる、届いてる人がいる。言葉のいいところは、大なり小なり人の心を揺さぶれることだと思っています。誰かの心を揺さぶることができて嬉しかった。

 

そんなとき。高3になり、英検の一次試験に合格しました。一次の筆記試験に受かると、二次は面接があります。私と2年生の女の子とで、面接練習を受けることになりました。放課後、先生と3人で音読や質問の受け答えをみっちりと練習しました。

 

練習が終わり、帰ろうと階段を降りていたときのことでした。か細く私を呼び止める声がありました。その女の子です。ぎこちなく振り返った私に、その子は言いました。

 

「えそらさん、ですよね」

 

最初はなんのことだかわからなかった。1年以上も前に使っていたペンネームを、言われて初めて思い出しました。その子は続けて、部誌で私の作品を読んでとても記憶に残っていた、みたいなことを言ってくれました。

 

作品には本名は記しません。ペンネームだけです。ただ、部誌のいちばん最後のページに、この人の本名はこうですよというのがちょこんと載せてあるだけ。

 

つまり、私の作品を面白いと思ってくれて、本名が載せてあるページまで見てくれて、練習中に先生が呼んでいた名前を聞いただけで「えそら」と結びつけるほど記憶に残してくれていたということです。

 

覚えていてくれる人がいる。こんなにも届いていたんだ。私の言葉がその子のなかに息づいているのを目の当たりにして、嬉しくて嬉しくて泣きそうでした。

 

ツイートならこれを読んで少しでも笑ってもらいたいとか、ライブレポなら少しでも雰囲気を思い出してほしいとか、色々ありますが、私がなにかを書くときの芯は「誰かの心を揺さぶりたい」というシンプルな欲求です。

 

あんなに「届いた」と実感できたことは他にありません。荒削りで青臭い作品だったと思うけど、好きだと思ってくれたことも、名前まで覚えてくれていたことも、すごくすごく嬉しかった。

 

このたったひと言が嬉しくて、いまだに覚えている。なにを話したかは忘れたくせに、肌寒い廊下、私を呼び止めた声、あのとき湧き起こった感情をまざまざと覚えている。

 

あの一瞬があったから、私はなにかしら書くことをやめられない。「伝わる」っていうのがどういうことなのかを、本当に知ったあの日から。

 

 

長ったらしいけどつまり、これからもレポとか自己満足でいっぱい書くけどよろしくねチェケラ、ってことです。

そして、ツイートやブログが好きだと言ってくださるの、本当に本当に嬉しいです。こちらこそいつも読んでくださってありがとうございます。

あおでした。