あおいろ濃縮還元

虎視眈々、日々のあれこれ

春宵、一等星

時勢の煽りを受けて近所のパン屋はすべてのパンをビニールで覆っていた、少人数で回しているこの店にとってビニールを被せていく何気ない作業がどれだけの負担であるのだろうと思いながら、タイムセールで半額になったチーズフランスを買う。181円、端数を切り捨てて90円。タイムセールをやるような遅い時間に来店した私が悪いのだけど、不景気で閉店されてしまったら困るからもうちょっとぐらい払ってもいいのにと思った。今度は早めに来よう。閉店といえば、一度しか行けなかったけど好きだった札幌のライブハウスも閉店してしまう。出演するバンドにあわせて作ってくれるコロニーの特製カクテルと、段ボールに詰め込まれているような気分になる狭っ苦しいハコ、天井で剥き出しになった鉄パイプなんかがライブハウス然として好ましいなと思っていた。2019年、あの小さなハコでフレデリックを観られたのはほんとうに奇跡だった。どうしようもなく奇跡になってしまった。パンを買った帰り道、やるせないよな、と思いながら見上げた夜空は19時のわりには明るい気がして、耳元に受ける風のつめたさとは裏腹に季節はしっかり春なんだなあと思い知る。星座なんかはよくわからないが、明らかに一等星だろうと思われるひときわ大きな星がビカビカ光っていた。今日は湯船に入浴剤をしずめよう、青いのとか緑のとか、はたまた白いやつじゃなくて、なるべくピンクとかオレンジだとかの春っぽいやつを。

 

 

振り返らない

別れ際、私は振り返らない。ポリシーとして。半年ぶりに会う友人と飲み会をした帰り道でも、初めて会う遠方のフォロワーと解散するときも、デートのあとでも、後ろは向かずスタスタ歩き出す。バイバイしたあと姿が見えなくなるまで手を振り続ける女の子が可愛いのは百も承知だし、手振るぐらいで男女問わずキュンとされるなら容易いなと思わなくもないけど、だって振り返ったらさみしくなってしまうし。冷たいと思われてもこれが美学であり、潔さであり、保身であるから譲れない。

 

自分が振り返らないから、じゃあまたねって別れて歩いていく相手が果たしてこっちを振り向いているのかなんて全然知らなかった。遠くへ引っ越す彼氏を空港まで見送りに行った。ドライな私であるので、湿っぽくもドラマチックにもならず、2軒ほど飲んだあとの帰り道のようにサクッと手を振った。私は一旦歩き出したら振り返りはしないけど、さすがにすぐには立ち去らず、身を翻して保安検査場へ歩いていくその姿を眺めてみた。コートを脱ぎ、ポケットの中のものを出し、リュックをおろしてX線を通り抜けていく彼氏はものの見事に一度も振り返らなかった。あ、このひとは私と同じ人間かもしれない、と初めて知って、きっと冷たさではなくて振り向いたら泣いてしまうからこちらを見なかったのだとわかって、検査場の向こうに消えていく背中を見届けると、私も振り返らずロビーを去った。泣かなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

泣かなかったけど、引越し先に持っていくには重いからと譲り受けたグルメ情報誌を眺めていたら、何ヶ所か折り目のつけてあるページのうちのひとつに、付き合う前、告白された日に行った居酒屋が載っていて、今になって、じわじわとボディブローが効いてきているところである。ちくしょう。泣かねえ。

 

まくらもとに筆

2週間ぶりのバイトは暇で暇で仕方なかったのに、久々に働いたから疲れてしまった。家にずっといたせいで、身体にガタがきていたことを思い知る。日頃ライブハウスでしか汗を流さない私はライブがないとすぐ不健康体になってしまうけど、きっと、そんなことじゃだめなんだよね。非常事態に直面することでゆっくり色んなものを見つめ直せている、気がする。そうだといい。初めて顔を合わせた後輩とたくさんお喋りしていて、家族や親しい人以外とこうやって話すのってほんとうに久しぶりだなって思った。ちょっと働いただけで、身体をめぐる血液がすっきりと真新しく入れ替わったような、新鮮な気持ちになった。

 

このご時世で彼氏には会っていなかったけど、私が用事で行かなきゃいけない役所がなんと彼氏のマンションの向かいに建っており、そんなことある?って笑いながらさすがに少しだけ会った。書類を提出し、申請したものを発行してもらうまでの1時間弱を縫って慌ただしく会いに行ったこと、あのときは必死だったよねっていつか笑い話にできたらいい。今年は会えなくてしんどいだろうけど、これから50年くらい一緒にいるとしたらそのうちの1年ぐらい大丈夫だよ、とさらっと物凄いことを言われたけど、恋愛においてだけじゃなくて今は全てのことにそれが言えるなと思った。これから何十年とライブに行くのだとしたら、そのうちの今年ぐらいは行けなくたって大目にみられるような気がする。

 

これを書きつつ雨の音を聞きながら緑茶を飲んでいたら、眠気のとばりがおりてきた。筆を置いて寝る。心を海のように広く持って明日からもじゃんじゃん生きようね、おやすみなさい。

 

井戸と刃

スカイツリーの展望台でも鳥取砂丘でもちょっと小高い山の上やだだっ広い草原の真ん中でもなんだっていいけどそういったスケールの大きな場所に行ったとき「地球の大きさに比べたら自分の悩みなんてちっぽけに思えた」ということが生まれてこの方一度もない。私の世界のなかじゃ私がいちばん偉くて大切なのに地球ごときと比べて胸を撫で下ろせちゃうようじゃ困る、といったジャイアニズムのもとに生きているからかもしれない。今月はまだ一度もブログ更新していないにも関わらず「今月のPV数は〇〇を越えました」の通知が赤く光っており、更新していないブログを眺めている人間がこの世に〇〇人もいることに驚いたと同時に嬉しくなった。ねえ、でも、句読点と改行に乏しく読み辛い文章はお気に召さない?読み辛いなって顔を顰めてブラウザバックする人には伝えるつもりのないモールス信号みたいな言葉は目を凝らした人にだけ届けばいい、私は元気にやってるよ。あれもこれもと手を伸ばすことのできる器用な人間じゃなかったと痛い程思い知ったりしているこの頃を懸命に生きている。大切な人たちや物事たちに惜しみなくなみなみ愛を注ぎ続けられたならいいのに、いくら愛情の貯蓄が多い私といえど、枯れてしまっては井戸もただの冷たい墓場である。大切なものを全て器用に大切にできたならいいのにひとつのものを一途に不器用に愛することしかできない人間だ、ってわかってんだから。もう欲張るのは無理なんだってわかってんのにね。こないだ書いたとある話は半年以上も前から構想を練っていたんだけど、なんの因果なのか現在の私の状況と似通う箇所や思うところも存分にあり、自分で作ったフィクションのくせに他人事とは思えない。自分で研いだ刃でかすり傷を負う事態。とりあえず、くだらない生き方はしないって胸に留めている私がつまんねえ女に成り下がっただなんて思われたくないから今日も人知れず井戸水を補充するしきちんと刃も研いでおくのだ。私はいつもいつも幸せだけどこんなんで満足しようなんて毛ほども思ってないんだから、死ぬまで貪欲に生き尽くす、それだけだよ。

 

冬と春の隙間に

路肩にはまだ雪が残っていても、食卓にはみずみずしいアスパラが出るし、スーパーの和菓子コーナーには桜餅が並ぶ。白いコンバースのハイカットを履きたいけれど、泥にまみれた雪解け水が染み込むのは嫌だなあと思って今日も黒いブーツを装着した。冬と春の隙間はむずかしい。ところでブーツは「履く」よりも「装着」という響きが似合う気がする。スニーカーは履く。パンプスも履く。ブーツは、装着。なんとなく重厚な感じが増してよい。冬はあたたかくて春はさみしい感じがするから、冬と春の隙間、この暖流と寒流がぶつかりあう季節のことを好きになりきれずにいるけど、マフラーに顎を埋めながら並んでホットコーヒーを飲んだベンチの冷たさなんかを忘れたくないと思っている。邪魔だからと取り外したカップのスリーブがバッグから出てきて少し笑った。

眼差す

まなざし、という言葉はそういえば「眼差し」と書くのだったなと、ジャズの流れる喫茶店で思い知る。

 

向かいでコーヒーを啜る先輩の傍らに、湯気で曇るからと折り畳まれた眼鏡が置いてある。私たちは長いこと先輩と後輩の関係性をやってきたけれど、数十分前に告白の返事をしてから、ゆるやかにギアが切り替わったように思う。関係が変わったところで今さら何が変わるんだ、と思っていたのが嘘みたいだった。いきなり呼び捨てにするでもないし、長年使い続けてきた敬語が今さら抜けるわけもないのだけど、それでも確実に、ゆっくりと、私たちを取り巻く空気が変わりはじめていた。澄んだ青空が深く暮れなずむように。朝が夜へ溶けていくように。このクッキー切手みたいな形してますねとか、いつも通りくだらないことを話していたって、時折交わる目線の柔らかさがまるで違っていた。

 

「本物のマンボウって見たことあります?」と突拍子もない話題を振ると、ん?とでも言うように先輩が顔を上げた。ほぼ無表情ではあったけれど、唐突にマンボウの話をはじめた私を見る目があんまりにも柔らかくて、普段見せる狐みたいにつめたい眼光とかけ離れすぎていて、あ、関係性が変わるってこういうことなんだと思い知った。リビングの大きな窓から降り注ぐ休日の日差し、みたいな、まなざし。差し込む光のようだから「眼差し」なんていうんだろうか。語源が違ったとしてもそっちのほうがなんかいいなあと思う。朝が夜へと移ろっていく、どちらでもない夕暮れの時分を、私はいま夕暮れ時にいるのだとはっきり自覚した瞬間を、覚えておきたい。「マンボウって柴田理恵に似た系統の顔してるんですよね」なんて一段とばかみたいなことを言いながらそう思っていた。

 

 

2月は耳元を過ぎる風

気付いたら2週間ほどもブログを更新していなかったことに今しがた気がついた。お元気ですか、とは言えない情勢だけど、これを読んでいるような物好きなあなたには元気でいてほしい。

 

2月は目まぐるしく、風のように私の耳元を掠めていった。こないだ投下した文章の添削をせっせと行ったり、まもなく遠方へ行ってしまう友人たちと慌ただしく連夜乾杯をしたり、横浜へ遠征したり。頬を火照らせたクラフトビールの味も、みなとみらいの夜を照らしていた観覧車のひかりも、何年も前のことのようにもつい昨日のことにも思える。思い出の輪郭はいつだってあやふやに、だけど明瞭に、私の脳のまんなかにしたり顔で座りこんでいる。

 

2月は、ばたばたと人生を精算する月でもあった。私の人生の確定申告、みたいな月だった。確定申告なめんな、って個人事業主にレシートの束で叩かれそうな例えだけど。まあとにかく目まぐるしかった。履歴書を送ったり彼氏ができたり色々あった。楽しみにしていたスペシャ列伝と、大学の卒業式までもが中止になってしまった。未練がないわけなんてないけど、死ぬよりは断然いい。いよいよ公共交通機関も店も機能しなくなったときのために、本とDVDと紅茶とお酒と、とにかく際限なく引きこもれる準備を整えていこうと思う。ウイルスなんて幸せを束にして丸めてぶん殴る。