あおいろ濃縮還元

虎視眈々、日々のあれこれ

20

20歳。

 

コブクロのふたりが出会い、共に音楽を奏ではじめたのが20歳の頃。私の母は20歳のときに父と出会い、その年に籍を入れた。

 

20歳。節目の年でもあり、試練の年でもある。まだ気づいていないだけで、私はもう既に岐路に立っているのかもしれない。

 

お酒が飲めるようになり、クレジットカードを作れる年齢になった私は、これから何ができるようになる?何ができる?

 

ぼんやり生きてもいい年齢では、なくなってしまったのかもしれない。頑張り時だぞ、おい。今のうちにできるだけライブに行って、たくさん本を読んで、いつか 「あの頃は楽しかったなあ」 って言えるようになりたい。

 

もう何か始まってるのかな。まだまだこれからなのかな。なんであれ、一瞬のチャンスも逃したくない。

 

今年はめいっぱいアンテナ張ります。あおでした。

エゴイスト上等

みんな同じではいられない。友達みんなが持っているたまごっちを買ってもらって、みんなと同じランドセルを背負って、同じ制服に袖を通して、同じ机を並べた私たちはいつか違う世界へ行く。

 

 

友達に入口まで付いてきてもらわなきゃ職員室にも入れないような、みんなと同じCampusのノートを使っていないと落ち着かないような私だけど、昔からこうと決めたらひとりでも突き進んだ。

 

中学の友達が揃って受験すると言った高校を目に留めず、知り合いのいない高校をひとりで目指したし、同級生がひとりもいない部活に迷わず入った。大学受験も似たような感じ。

 

 

 

だってこれは私だけの人生なのだ。長ーーい個人戦。トイレ一緒に行こうよ的なノリで、この先の長い人生まで一緒に歩んでくれる友達もいるまい。

 

いい意味で自分しか信用していないし、自分を裏切らないように頑張ってもいる。自己中心主義、エゴイズムを極めなきゃ、流されずに生きてくなんて無理。

 

 

 

追い越したって置き去られたって、自分の歩幅で歩きたい。他人に合わせてたまるかよ。

 

人生のゴールが山のてっぺんだとするなら、楽な下り坂を選んでのちのち苦労するようなヘマは踏まない。険しい山道だとしたって少しでも上を目指す。付いてこないなら置いてく、ひとりでも行く。そのぐらいの気持ちでいる。エゴイスト上等。

 

 

楽なことより、つらくても楽しいことしたいよな。苦労を惜しまないで、死にかけるたびに強くなるサイヤ人みたいにめらめらと生きていきたい。あおでした。

 

砕けろ

夢と呼べるほど綺麗なものじゃない、「執着」 としか呼べないような目標みたいなものを昔から持っていて。大人になっていくうちに忘れられるものだと思っていた。でも忘れたくないと思っていた。だから、大人に足を踏み入れかけている今になってもやっぱり忘れられなかったりする。本気で成し遂げるスタミナも覚悟もないんだけど、だからってぼんやりフェードアウトしていくのも寂しい話だ。どうしても叶えたい夢、なんてものじゃない。昔から握り続けてきたからじっとり執着しているだけの、このまま手放すのが惜しいだけの、そんなものだ。とっくに必要はないのに、愛着が湧いて捨てられないぬいぐるみのような。でも猛烈に悔しいと思った。泣きたくなるくらい嫉妬心が芽生えて、自分のなかにまだこんなものが残っていたことに戸惑った。どうしたらいいんだろうね。一つしかない答えをずっと見ないふりしてきた。忙しいことを盾にした。忙しくしていれば忘れられると思っていた。でも、寝る暇がないほど忙しくても、生きているのがやっとな時だって、忘れられなかった。ご立派な言い訳を振りかざして逃げようとする自分が嫌いだと思った。余計に悔しかった。忘れたり逃げきれるもんじゃないと思った。ねえ、全力でぶつかってみたらさ、全力で弾け飛んでくれるかな。こんなに頑張っても駄目なら仕方ないねって、真正面から諦められるのかな。諦めるために頑張ることが私には出来るのかな。なにかを賭けてまで手に入れる度胸は私にはない。どんとぶつかって、きっぱり諦めて、あの頃はなんか苦しかったけど楽しかったなあっていつか笑えるような大人になりたいと思ってるんだよ、ちゃんと。区切りっていうかけじめっていうか、そろそろ付けないと、みんなとっくに捨ててるお子ちゃまみたいな理想を持ったまま大人にはなりたくないんだよ。わざわざエイプリルフールなんて半端な日にこんなお経みたいな、おどろおどろしいブログを書かないとやってられないような、このままじゃ駄目なんですよ。執着なんて苦しいだけのこと本当はしたくないんですよ。こんな読み切れもしないような葛藤を持ち続けるのはもうやめて楽になりたいんですよ。だからさ、当たって砕ける覚悟を決めろよいい加減。

清水依与吏を褒めたたえる回

「back number 大好き~💞 わたしも彼氏にこんなふうに想われたい💞」 なんて言葉も聞き飽きたあなたへ。

 

今回は 「セフレ曲書かせたら最強」 「依与吏さん作詞うますぎ」 というマニアックなテーマ2本立てでお送りします。

 

 

 

back number にはなぜか、セフレの心情を歌った曲が多い。『助演女優症』『助演女優症2』は確実にそうで、『アーバンライフ』も怪しい。

 

アーバンライフ』は男性目線で書かれたこんな曲。

 

  触れたいだけ 深い意味はない

  お互い何を望む訳じゃない

 

  名前を持たない関係に君はいない

  僕もいないんだ

 

 

次は、女性目線で描かれる『助演女優症』。

 

  都合が良くって頭の悪い女を演じてあげる

 

  私の望んだものはもう全部

  あなたの心以外 今ここにあるから

 

 

今や 「back number まじ泣ける胸キュン~😭💗」 と中高生に言わしめているback number ですが、胸キュンする曲よりもこういう切ない歌詞のほうが得意。

 

満たされているのに空しい『アーバンライフ』。都合の良い女を演じる『助演女優症』。聴いたあとしばらく気分が落ち込んでしまう、妙にリアルな独特の空気感。

 

色に例えるなら白でも黒でもない。雨雲のような、どんよりした不穏なグレー。この色は依与吏さんにしか出せない。

 

セフレ題材の歌を3曲も作るアーティスト、そうそういない。セフレいたことある人か、よっぽどの想像力がある人にしか、こんなん書けないよなあ。依与吏さんがどっちかはわからないけど相当度胸あるなあ。

 

 

ここからは完全に私の憶測ですが。

もし『アーバンライフ』の主人公の相手が『助演女優症』の女性だったら、救いようがなさすぎる。

 

お互いこの薄暗い関係を了承していると思いこんでいる男性。恋心を隠して都合のいい女に徹する女性。あくまで想像だけど、もしそういう狙いがあるとしたら背筋が凍ります。

 

その場合『助演女優症』の女性は、"都合がよくて頭の悪い女" を見事に演じきってる名女優ってことにもなりますね。皮肉にも。

 

 

 

 

 

 

依与吏さんは作詞がめちゃくちゃうまい。誰にでもわかる簡単な言葉を使う、というのが実はいちばん難しい。シンプルな言葉で深みを持たせる技に関しては、一級品だと思う。

 

『幸せ』という、タイトルに反してアンハッピーな曲。主人公がひそかに好意を寄せている男友達には、好きな女の子がいます。主人公は自分の気持ちを隠して男友達の恋を応援するが、心の底では…。という感じ。あらすじだけで既に切ない。

 

切なすぎる歌詞の素晴らしさについては語るまでもないので、今回は 「歌詞の組み立て方めっちゃすごい」 という点に着目します。

 

でも私があなたを好きなくらい あなたも想っているなら 私じゃやっぱりダメだね」 という1節。

 

歌詞の組み立てがそこまで上手くないアーティストなら 「私があなたを好きなくらい あなたもあの子が好きなら」 としがちだと思う。音数は一緒だし、パッと見違和感もない。

 

でもこれだと 「あの子が」の部分は省略できるし、「好き」 ってワードが重複しちゃうんですよね。だから「想う」 というワードに差し替えてる。

 

無意識か意識したのかはわからないけど、実は陳腐な言い回しを避けてるあたり、依与吏さん作詞うまいな~たまらんな~と思う。瞬時にいらない言葉を削り、表現を差し替えて、「あなたも想っているなら」 ってすんなり織り交ぜてくるのはすごい。

 

あなたも (あの子を) 想っているなら」、というふうに、依与吏さんは省略すべき箇所をスパッと省略する技に長けている。

 

ちなみにベストオブ省略は、『西藤公園』の 「私は冬が好き 僕は君が」 だと思う。僕は君が好き、とは曲中で言わない美しさ。余白の美学。

 

 

 

中高生に人気だからって敬遠しないでほしいんです。back number の歌詞はシンプルでイマドキなのに、超深みがあるし美しい。ほんとはもっともっと語りたいけど、今日はこのへんで。

 

あおでした。

 

 

鳴り止む

どんな音楽もいつか鳴り止む。

 

グッドモーニングアメリカの金廣さんが、ポリープ手術に伴い、3ヶ月間ライブ活動を休止するという。

 

ヒヤッとした。ポリープ自体も心配ではあるけれど、筋金入りのコブクロファンである私は 「活動休止」 という言葉に過剰反応してしまう。それはおいおい話すとして、グドモのブログを読んだとき、無理してでもライブ行っておけばよかったなあと心から思った。マイヘアのときも同じことを思った。

 

バイトと金欠が重なり、今回の全国ツアーは断念したのだけど、頑張れば休みはもらえたしお金もなんとかなった。「また今度でいいや」 と見送ったライブが、もしかしたらラストライブになるかもしれないのだ。

 

 

 

信じていた音楽が二度と鳴らなくなることなんて、掃いて捨てるほど、ある。

 

あまり聴いたことはなかったけど、Galileo Galilei や WHITE ASH が解散したときも、BOOM BOOM SATELLITES の川島さんが亡くなったときも、それなりにショックだった。SMAPに関してもまだ受け止めきれていない。

 

カラスは真っ白、というバンドの解散ライブに先日行った。近頃聴いていなかったのにも関わらず、解散はショックだった。インストアライブにもフリーライブにも行ったことはあるし、"フラゲ日にタワレコにCDを買いに行く" なんてことをしたのはカラスは真っ白が最初だった。

 

解散ライブツアーの千秋楽は、湿っぽい感じもなく、トリプルアンコールまできっちりやって終わった。MCでは腹の底から笑えたし、骨の髄まであたたまるようなアツいライブだったのに、明るい幕引きだったのに、どうしようもなく寂しかった。

 

千秋楽が行われた 札幌 Sound Lab mole というライブハウスには、フリーライブで来たことがある。「次はここにワンマンを見に来よう」 と思っていたその 「次」 が、解散ライブになってしまうなんて。

 

行こうと思えば機会はいくらでもあった。なんで行かなかったんだろう? ものすごく後悔した。終わりに立ち会えたことは幸せだけど、終わってしまうまで、どうして追い続けなかったんだろう?

 

 

 

 

「活動休止」「解散」 をこんなに怖いと思う原因は、私の愛してやまないコブクロにある。

 

コブクロは 『蕾』『流星』のヒットから一転、2011年に活動休止をする。小渕さんが喉の病気にかかったためだった。翌年には復帰を果たしているものの、最近になってようやくふたりは "充電期間" の心境を明かしている。

 

コブクロは、活動休止を発表した札幌でのライブを最後に、やめる覚悟でいたという。4年越しに知った事実に尋常じゃなく鳥肌が立った。休止どころか、コブクロそのものをやめるつもりでいたという。実際、やめようとさえ言えば簡単に終わる状況だったらしい。最終的には復帰に至るわけなのだけど。

 

大好きなアーティストが急に活動休止をして、復帰するどころかそのまま音楽自体をやめてしまったら?

 

 

休止中の心境を知って以来、そんなことを考えてしまう。

 

「また次でいいや」 と見送ったその 「次」 が、もう二度と来ないかもしれない。どんな形であれ、私の好きな音楽は、いつか鳴り止む。

 

鳴り止んでしまうその時に、後悔しないように。だからなるべく行けるライブには足を運びたい。歓声を、拍手を送りたい。一瞬一瞬を焼きつけておきたい。そう思う。

 

 

 

だからね、友人たちに言いたいのは、バカみたいにチケット代に貢ぐ私の悪癖を許してくれよということ。「行きすぎじゃない?また来るんでしょ?」 と言われたって、そんなのわかんねえんだよ誰にも!

 

いまブログに書いたみたいな理由を語り散らしたらドン引かれると思って、「え~でもさ~ライブは私のライフワークだし~」 とヘラヘラ笑うことしかできない私を許してくれよ。ブログ見てないだろうけど。読まれてたらめちゃくちゃ嫌だけど。

 

あおでした。

 

卒業

母校前のバス停から、続々と卒業式を終えた後輩たちが乗りこんできた。

 

口もとを覆い隠すチェックのマフラーと、コートの隙間からちらりと覗く、見慣れた制服のリボン。毎朝、学校行きたくないなあって思いながら3年間留め続けてきたリボン。私も、いま乗りこんできた後輩たちも、おそらくもう留めることのないリボン。

 

1年前は私もまだ高校生だったんだなあ。

 

卒業式では1ミリも泣かなかった。特に思い入れはなかった。親友と離れることだけが悲しかったけど、いつも通りくだらない話をして、いつも通りに別れた。

 

早く卒業したいと思っていた。高校が好きではなかったというより、まあそれもあるけど、早く大学に行って好きな勉強をしたかった。だから考えていたよりなんの感慨もなくあっさり卒業できた。

 

ずーーっと前だけを見つめ続けてきたおかげで第一志望に合格することはできたけど、未来を待ち望むあまり、高校生活を楽しもうとしていなかったと思う。陰キャだったし。JKライフ無縁だったし。

 

あの頃の自分に、顔向けできるのかなあ。もしかしたら全力で楽しめたはずの3年間を食い潰して、やっとここまで来たのに。この1年何してた?頑張った?なにを?というか、頑張っても成果がなくちゃ意味なくない?打ち捨てたJKライフの代償がこれ?味気なくない?

 

 

これから地元を離れて東京に進学するという男子や、専門学校で彼氏ができるか色めき立つ女子の話を聞きながら、私は、1年前の私が思い描いていた自分に少しでも近づけたのかな、と苦い思いになった。

 

過去の自分に恥じない自分になりたい、初心や童心を忘れたくない。いつも心に留めていることだけど、ちゃんとできているかといえば、ノーだ。食い気味にノー。

 

やりたいことは無限にあるし、こんなとこでぬくぬく立ち止まってる場合じゃない。全速力でもまだ足りない。小さな幸せに目を向けられるような人でありたいけど、それだけで満足してるような人には絶対になりたくない。私はもっと飢えたい。

 

昔思い描いていた自分には全然足りないけど、卒業までにはもっとマシであれるように、浪費したJKライフが無駄にならないように、せめて春休みの間はしばらく足掻いていたいと思うのです。

 

大好きなライブもちょっとは我慢します。もう決まっちゃったやつは勘弁して。ひと段落するまでなるべく増やさないようにするから。

 

 

いきなり試験があるみたいで憂鬱だとか、春服をどのくらい買ったほうがいいのか、楽しそうに話している高校生たちの笑顔の奥に、「こんな時間もこれで最後だな」 という感情がどうしても透けて見えてしまって、もらいセンチメンタルしてしまった次第。卒業おめでとうございます。

 

あおでした。

 

これまでの、すべての日々に

All Our Yesterdays Tour 2017、略称AOYツアーがとうとう幕を開けましたね。

 

今回のツアー、高校時代の親友 (と私は思ってる) と参加します。彼女は特に音楽がなくても生きていける人種で、特に back number が好きというわけでもないと思うんだけど、連番快諾してくれて。しかもライブはこれが人生初みたい。

 

ぶっちゃけ私は、ひとりでもどこへでもライブ行けます。遠征もぼっちフェスも余裕です。連番も大好きだけど、好きなだけ暴れ倒せるぼっち参戦めっちゃ好き。

 

でも今回のツアーは、ぼっち参戦でも、もはや私のライブ友達と化している母を巻き込むでも、これまた何度もライブに連れ込んでいる邦ロック好きな友人を誘うでもなく、大してライブに興味のなさそうなあの子と絶対に行きたいと思った。絶対に。

 

ベストアルバム出した直後のツアーだから、セットリストが初心者にも優しそう (知らないから憶測だけど) ってのもある。だけどそれだけが理由じゃなくて。

 

 

 

 

高校時代、私にとって人生初ライブであるラブストーリーツアーに当選してはしゃぐ私を見て、「なんかわかんないけど良かったね」 と言ってくれたのは彼女だった。

「back number って何?バンド名?」 と疑問を浴びせてくるほかの友達と違って、知らないし興味ないけどなんか喜んでるからとりあえずおめでとう、みたいなスタンスが好きだった。

 

私がカラオケで入れた 『花束』『高嶺の花子さん』(その当時は全然知られていなかった) をいい曲だと言って、覚えて歌ってくれたのも彼女だ。

これは純粋にすごく嬉しかった。以降カラオケの度に歌ってくれるのも嬉しかった。

 

back number を見るためだけに、受験期にライジングサンぼっち参戦キメた私を笑い飛ばしてくれたのも彼女だった。

受験期、しかも真夜中の時間帯に、ぼっち参戦。内心では呆れていただろうに、なにも言わないでいてくれたことがありがたく思えた。

 

 

私の青くて苦い高校時代には、いつも back number の曲が寄り添っていて、それを夢中で聴く私の横には、いつも 「よくわかんないけど良かったね」 と興味なさそうな顔をした彼女がいた。

 

当時、back number の心が締めつけられるような歌に私は救われていて、今はまだ無名だけどほんとに凄いんだよ!と熱弁する私を見て 「良かったね」 と言ってくれる親友にもまた救われていた。

 

思い返せば、back number がゆるやかに流れていたこれまでの “すべての昨日たち” の中に、いつだって彼女は居てくれたのだった。

 

All Our Yesterdays Tour 2017、彼女と行く人生最初のライブが、また素晴らしい思い出になりますように。

 

あおでした。

 

 

(ところでこのブログ本人に見られてたら恥ずかしすぎて死にたいんだけど、万が一見ていたら、「もしかしてブログやってる?笑」って聞いてください、お願いします。親友へ。)