あおいろ濃縮還元

虎視眈々、日々のあれこれ

卒業

母校前のバス停から、続々と卒業式を終えた後輩たちが乗りこんできた。

 

口もとを覆い隠すチェックのマフラーと、コートの隙間からちらりと覗く、見慣れた制服のリボン。毎朝、学校行きたくないなあって思いながら3年間留め続けてきたリボン。私も、いま乗りこんできた後輩たちも、おそらくもう留めることのないリボン。

 

1年前は私もまだ高校生だったんだなあ。

 

卒業式では1ミリも泣かなかった。特に思い入れはなかった。親友と離れることだけが悲しかったけど、いつも通りくだらない話をして、いつも通りに別れた。

 

早く卒業したいと思っていた。高校が好きではなかったというより、まあそれもあるけど、早く大学に行って好きな勉強をしたかった。だから考えていたよりなんの感慨もなくあっさり卒業できた。

 

ずーーっと前だけを見つめ続けてきたおかげで第一志望に合格することはできたけど、未来を待ち望むあまり、高校生活を楽しもうとしていなかったと思う。陰キャだったし。JKライフ無縁だったし。

 

あの頃の自分に、顔向けできるのかなあ。もしかしたら全力で楽しめたはずの3年間を食い潰して、やっとここまで来たのに。この1年何してた?頑張った?なにを?というか、頑張っても成果がなくちゃ意味なくない?打ち捨てたJKライフの代償がこれ?味気なくない?

 

 

これから地元を離れて東京に進学するという男子や、専門学校で彼氏ができるか色めき立つ女子の話を聞きながら、私は、1年前の私が思い描いていた自分に少しでも近づけたのかな、と苦い思いになった。

 

過去の自分に恥じない自分になりたい、初心や童心を忘れたくない。いつも心に留めていることだけど、ちゃんとできているかといえば、ノーだ。食い気味にノー。

 

やりたいことは無限にあるし、こんなとこでぬくぬく立ち止まってる場合じゃない。全速力でもまだ足りない。小さな幸せに目を向けられるような人でありたいけど、それだけで満足してるような人には絶対になりたくない。私はもっと飢えたい。

 

昔思い描いていた自分には全然足りないけど、卒業までにはもっとマシであれるように、浪費したJKライフが無駄にならないように、せめて春休みの間はしばらく足掻いていたいと思うのです。

 

大好きなライブもちょっとは我慢します。もう決まっちゃったやつは勘弁して。ひと段落するまでなるべく増やさないようにするから。

 

 

いきなり試験があるみたいで憂鬱だとか、春服をどのくらい買ったほうがいいのか、楽しそうに話している高校生たちの笑顔の奥に、「こんな時間もこれで最後だな」 という感情がどうしても透けて見えてしまって、もらいセンチメンタルしてしまった次第。卒業おめでとうございます。

 

あおでした。

 

これまでの、すべての日々に

All Our Yesterdays Tour 2017、略称AOYツアーがとうとう幕を開けましたね。

 

今回のツアー、高校時代の親友 (と私は思ってる) と参加します。彼女は特に音楽がなくても生きていける人種で、特に back number が好きというわけでもないと思うんだけど、連番快諾してくれて。しかもライブはこれが人生初みたい。

 

ぶっちゃけ私は、ひとりでもどこへでもライブ行けます。遠征もぼっちフェスも余裕です。連番も大好きだけど、好きなだけ暴れ倒せるぼっち参戦めっちゃ好き。

 

でも今回のツアーは、ぼっち参戦でも、もはや私のライブ友達と化している母を巻き込むでも、これまた何度もライブに連れ込んでいる邦ロック好きな友人を誘うでもなく、大してライブに興味のなさそうなあの子と絶対に行きたいと思った。絶対に。

 

ベストアルバム出した直後のツアーだから、セットリストが初心者にも優しそう (知らないから憶測だけど) ってのもある。だけどそれだけが理由じゃなくて。

 

 

 

 

高校時代、私にとって人生初ライブであるラブストーリーツアーに当選してはしゃぐ私を見て、「なんかわかんないけど良かったね」 と言ってくれたのは彼女だった。

「back number って何?バンド名?」 と疑問を浴びせてくるほかの友達と違って、知らないし興味ないけどなんか喜んでるからとりあえずおめでとう、みたいなスタンスが好きだった。

 

私がカラオケで入れた 『花束』『高嶺の花子さん』(その当時は全然知られていなかった) をいい曲だと言って、覚えて歌ってくれたのも彼女だ。

これは純粋にすごく嬉しかった。以降カラオケの度に歌ってくれるのも嬉しかった。

 

back number を見るためだけに、受験期にライジングサンぼっち参戦キメた私を笑い飛ばしてくれたのも彼女だった。

受験期、しかも真夜中の時間帯に、ぼっち参戦。内心では呆れていただろうに、なにも言わないでいてくれたことがありがたく思えた。

 

 

私の青くて苦い高校時代には、いつも back number の曲が寄り添っていて、それを夢中で聴く私の横には、いつも 「よくわかんないけど良かったね」 と興味なさそうな顔をした彼女がいた。

 

当時、back number の心が締めつけられるような歌に私は救われていて、今はまだ無名だけどほんとに凄いんだよ!と熱弁する私を見て 「良かったね」 と言ってくれる親友にもまた救われていた。

 

思い返せば、back number がゆるやかに流れていたこれまでの “すべての昨日たち” の中に、いつだって彼女は居てくれたのだった。

 

All Our Yesterdays Tour 2017、彼女と行く人生最初のライブが、また素晴らしい思い出になりますように。

 

あおでした。

 

 

(ところでこのブログ本人に見られてたら恥ずかしすぎて死にたいんだけど、万が一見ていたら、「もしかしてブログやってる?笑」って聞いてください、お願いします。親友へ。)

 

「女々しさ」 を武器にする 「強さ」

 

back number?あの女子中高生に人気の女々しいバンドでしょ?と思っているあなた。大正解です。

 

ボーカル・清水依与吏 (しみずいより) 氏の作る曲は、そりゃもう女々しい。そこまで言う?ってことまで歌にしちゃう。

 

でも。確かに女々しいけど、女々しさを武器にできる強さが、back numberには備わっていると思うのです。依与吏さんは女々しいけど、弱っちい男じゃないんだよ。ってことを、いちback numberファンとして訴えたい。

 

 

 

たとえば、男子高校生の淡い恋心を歌う『ハイスクールガール』という曲。

 

   ああ明日になったら 君が彼女になってないかな

   そうしたらもう何もいらないのにな

   君がいないとたぶん死んじゃうんだよ

   目の前にいなければこんな簡単に言えるのになぁ

 

女々しさ全開フルスロットル。ある女の子のことが好きでたまらないのに、脈がないから告白する勇気もなく、悩み抜いた挙句 「どうしようどうしよう ああなんか眠くなってきた」 とか言い出す始末。がんばれよ少年!!!

 

これだけで終わるなら、アプローチもせずただ好いてもらおうと思っている、考えナシな男子高校生の戯言です。いちばん最後の歌詞は、こうなっています。

 

   この想いが早く溢れ出してしまえばいいのに

   間違えて口が滑っちゃえばいいのになぁ

 

お分かりでしょうか。この主人公は、ただ何も考えず 「あの子が彼女になってくんないかな~~」 ってバカみたいに嘆いてたわけじゃありません。明日になったって君が彼女になってるはずないことも、想っているだけじゃ何も変わらないことも、おそらく脈がないことも、全部わかったうえで嘆いてるんです。

 

間違えて口が滑っちゃえばいいのになぁ」 と最後に付け加える少年は、間違っても自分の口が滑らないことを、ちゃんとわかってます。どうにもならないから嘆くしかないのです。はい、女々しい自覚アリアリです。

 

 

 

依与吏さんは、自分にひそむ 「女々しさ」 を自覚したうえで、それを客観的に見て、さらに共感のできる名曲に落とし込む 「強さ」 を持っています。

 

女々しいけど、弱っちくなんかない。自分の弱さをさらけ出せる人って、めちゃくちゃ強いと思うんですよ。ましてや弱い部分を売りにするなんて、ものすごいことやってる。

 

女々しさをブランド化して切り売りしてる。しかもバカ売れ。「自分の弱みを商品にしてください」 って言われて、成功させることのできる人がどれだけいるだろうか。

 

そこそこヒットしてきた時期に『ネタンデルタール人』なんて歌を出すのも、相当度胸がないとできないと思います。「僕も天才ってチヤホヤされたいのに」 「オシャレ!大好き!って言われたいのに」 なんて思ってても普通言えない。売れないインディーズバンドのミニアルバムに入ってそうなのを、依与吏さんはCMソングのカップリングに持ってきちゃう。とんだ度胸。

 

 

 

ではもうひとつ。『高嶺の花子さん』の歌詞を、改めておさらいしてみましょう。

 

   会いたいんだ

   今すぐその角から 飛び出してきてくれないか

 

おいおいおい?この主人公、「会いたいんだ」 なんて男前なこと言うと思いきや、「角から飛び出してきてくれないか」 ですよ。どんだけ古典的。会いたきゃLINEしろ。

 

とはいえ私も消極的な人間ですから、気持ちはわかります。相手は超絶キレイなうえに、友達の友達という微妙な関係。連絡をとる口実がない、あるいは連絡先を知らない可能性すらあります。会いたいなんて、心の中でしか言えないわけです。

 

この主人公は 「君を惚れさせる黒魔術は知らないし 海に誘う勇気も 車もない」 のに、「でも見たい となりで目覚めて おはようと笑う君を」 なんてひと足飛びに言っちゃいます。朝に隣にいる関係って……。その妄想ちょっと待った。

 

ただ、こんな言葉が出てきますね。

 

   偶然と夏の魔法とやらの力で 僕のものに

   なるわけないか

 

君がいきなり角から飛び出してこないことも、朝を共に過ごせないことも、僕のものにならないことも、ぜーーーんぶわかってるんです。彼氏の有無や好きなアイスの味は知らなくても、それはちゃんと知ってます。大体タイトルからして 『高嶺の花子さん』です。間違っても手の届かない高嶺の花を好きになっちゃった、てなもんです。

 

僕のものになるわけはない。そのことを前提に置き、それでも好きだってことを5、6分かけて歌いきってる。客観的に自分の女々しさを見つめ、ヒットチューンに落とし込める依与吏さんはなんて強いんだろうか。

 

 

 

たまに有線で、俺たちは別れてしまうけどお前をずっと愛してたぜ、的な歌を耳にします。おそらく振られてるくせに、酔いしれて美談にすり替えようとしていて、しかもそのことに気づいていません。自覚症状がないぶん、そっちのほうがよっぽど女々しいし弱っちいなと思うのです。

 

back numberにも別れたあとの歌は多いけれど、依与吏さんは過去を美化しない。好きだったんだよってうだうだ引きずりながら、でもちゃんと前を向かないといけないことをやっぱり知っている。「それに今君を考えているのだって 引きずっていれば削れてなくなるって計算の上さ」 なんて『あとのうた』で言ってたりします。

 

 

女々しさだって、立派な武器になる。自分が甘ったれてるとも知らずにカッコつける人より、カッコ悪さをさらけ出して商品として売り出せる依与吏さんのほうが、何百倍もカッコよくないですか。back numberは強い。強いよ。女々しいけどね。

 

女々しい女々しいってさんざん言ってきましたが、『SISTER』のように力強く背中を押してくれる曲もあるので、よかったら聴いてみてください。

 

ちなみに私は依与吏さんよりもベースの和也さんが好きです。あおでした。

1月2日、初陣

正月セールに臨むにあたって、「ライブハウスに行くつもりでいこう」 と決意した。いくら大混雑が見込まれる街中のセールとはいえ、モッシュピットに突っ込むよりはマシだろう。

 

でも結論から言うと、モッシュよりセールのほうがキツかった。ほんと。

 

街中は、戦場だった。

特にレディースフロア。弟の付き添いで行ったメンズフロアはそうでもないどころか、朝イチだったためむしろガラ空き。

 

ファストファッションのフロアで弟に冬服を見繕い、アパレルの連なるフロアに移動した途端、様子は一変する。朝10時だというのに既に両手にショッパーをぶら下げた女の子たちが、ぎゅうぎゅうにひしめいている。

 

店内全品半額というショップになんとか飛び込み、お値打ちのスカートや5千円(!)のコートを見つける。でもレジに伸びる行列は、折り返してなお途切れる気配はなく。商品を手に取ることもままならず、さっさと逃げ帰った。わけがわからなかった。

 

 

セールはモッシュよりもキツいんだなあ、と人波をかき分けながら思う。

モッシュは楽しむために身体をぶつけ合いながら飛び跳ねる 「楽しい行為」 だけど、セールは生きるか死ぬかの 「戦い」 でしかない。

 

楽しさ弾けるモッシュとはまったく別物なのだ。セール真っ只中の街は、ただの殺気立った戦場だ。

 

欲しいアイテムを目敏く見つけるスキル、人混みをかき分けて素早くレジに向かう俊敏さ、行列に屈しないタフさ。この3点を磨いた者しかセールという戦場で生き抜けない。

 

女は強い生き物だよなあ。

 

 

 

ちなみに最初の店では逃げ帰ったものの、狙ってたショップでは見事戦利品ゲットいたしました。粘り勝ちです。ビクトリー。

 

どうか皆さんがセールという荒波を無事くぐり抜けられますように。

あおでした。

 

LIVE FOR THE NEXT ~後編~

いよいよアジカンの登場。KANA-BOONの暖めたフロアが、また一気に温度を上げる。

さあ、第2ラウンドがはじまる。

 

2016 11/12 セットリスト

Easter

小さなレノン

未来の破片

ブラッドサーキュレーター

Re:Re:

Standard

リライト

ソラニン

君の街まで

ループ&ループ

今を生きて

転がる岩、君に朝が降る

アンコール

君という花

オペラグラス

 

 

狙い通り、建さん側のすごい前のほうに陣取ることに成功。1曲目『Easter』から既にヒートアップし、新しめの曲を挟みながら『未来の破片』『Re:Re:』などアツいナンバーが続く。

 

アジカンは、プレイのひとつひとつ、洗練されてきた佇まいのどれをとっても、どっしりとした安定感に溢れていた。ベテランの風格。

 

KANA-BOONが未熟というわけではまっったくないけれど、これが20周年を目前に控えたロックバンドか…あまりに格が違うぞ……と思った。

 

 

ところで、間近で見る建さんの色気がすごくて…!滴る汗や、ギターを掻き鳴らす手に浮かぶ筋ばかりを眺めてしまった。リライトのギターソロとか、どエロかった。

 

建さんに限らずだけど、コーラスするとき目をぎゅっとして口を大きく開けるあの表情が大好きなんですよね。合法的に間近でイケオジを眺められるなんて。最高もいいとこ。

 

あと、ゴッチの地声もエロすぎない? 「ありがとう」 の一言だけで色気爆発できるのなに?なんて技? 

 

客席からあがる 「ゴッチかっこいー♡」 の声を、「うるせー」 と煙たがるゴッチ。「かっこいいー!」 「うるさい、やめろやめろ、お前らはマイノリティー (少数派) だよ」 「かっこいー♡」

止まないヤジにぴしゃりと 「やめろ、うるさいブス!」 と止めをさすゴッチ。それがまたイケボなせいで黄色い悲鳴があがる。私もなぜかキュンときた。

 

 

『ループ&ループ』は、LIVE FOR THE NEXTのテーマソングに選ばれている曲。

 

   君と僕で絡まって繋ぐ未来

   最終形のその先を担う世代

  

アジカンが結成されたころ、私はまだ生まれてもいなかった。聴き始めたのは中3ぐらい、つい4年ほど前のことで。

 

嵐や西野カナが流行るなか、私は熱心にリライトを聴いた。歌詞がドンピシャに刺さったのもあるし、なによりカッコよかった。ロックが何かは知らないけど、この荒削りな真っ直ぐさこそがロックンロールだと思った。世代を越えて届くカッコよさが、アジカンの音楽にはある。

 

ちなみに私のなかでの 「カッコいい」 の定義は、 「カッコ悪くてもがむしゃらにやる」 ということ。泥臭い方法でもいいから、ひたむきに努力できる人が1番カッコいいと思っていて。

 

不遇な時期に耐えてなお自分たちのスタイルを貫き通すアジカンは、紛れもなくカッコいい。

 

 

『ループ&ループ』は、「ネクストジェネレーション」というテーマにぴったりの曲だ。邦ロックの基盤を築いたアジカンが、KANA-BOONへと次世代のバトンを繋ぐ。そんなイメージが浮かぶ。

 

だけど。

 

勝ちにいきますと宣言したKANA-BOONが、ゆくゆくはアジカンのポストを継ぐのかもしれない。でも 「世代交代か…」 と呟いていたゴッチが簡単に退くとは思わない。というか退いてほしくない。

 

ネクストジェネレーション、次の世代に丸ごと譲るのではなく、次の世代にも影響する音を奏でていてほしい。と、すごくワガママなことを思ってしまった。

 

だって、カッコいいんだもん。アジカン

私のボキャブラリーじゃうまく表せないから、どうかライブを観に行ってほしい。等身大のロックンロールを一身に浴びてきてほしい。最高だよ。ほんとに。

 

 

 

 

あっっという間に本編が終わり。気づかないうちに必死で飛び跳ねていたみたいで、ヒートテックを脱ぎ捨てたいほど暑かった。

 

アンコールの際、客席からあがった 「潔さーん!元気ですかー!」 との声に、 「潔は元気だよ、ありがとう」 となぜかゴッチが答える。なんで地声こんな腹立つくらいイケボなんだ?

 

『君という花』にはKANA-BOONの鮪さんもギターで参加。ゴッチのギターをそれはそれは嬉しそうに弾く鮪さんは、ゴッチに 「谷口マグロクション」 とあだ名を付けられていた。

 

『君という花』はKANA-BOONにとって、谷口鮪にとって、本当に大切な1曲で。憧れの人と同じステージで、憧れの人のギターで、憧れの曲を演奏できるなんて。ちょっと緊張しながらも楽しそうに演奏するマグロクション。こんなの泣くわ。私が。

 

途中、建さんがマイクを向けて鮪さんに歌わせようとしてくれたんだけど、ゴッチは例の変な踊りをしていて、そのやりとりに気付かず。鮪さんもタイミングをはかるものの、ゴッチはやはり気付かず。

いつか、いつかまた同じステージに立てる日が来たなら。今度は鮪さんの『君という花』も聴きたいな。もしくは一緒に踊ってください。

 

谷口鮪にもう一度拍手を!」 と建さんが言い、拍手を受けながら笑顔で去っていった鮪さん。どんなに嬉しかっただろうなあ。

 

 

最後は、Wonder Futureツアーでもアンコールラストを飾っていた『オペラグラス』で幕引き。

ゴッチが言うところの 「最高 and 最高」 でした。はああああ。最高。もうブログ書いてるだけで鳥肌立つもん。

 

 

 

さて、1ヶ月以上も空けてしまいましたが。これにて 「LIVE FOR THE NEXT」 ライブレポ前後編終了です。年内に更新できてよかった。本当に伝説の夜だったので、ぜひともブログに残しておきたかったのです。

 

ここまで読んでくれてありがとうございます。あおでした。

 

LIVE FOR THE NEXT ~前編~

夢物語が打ち鳴らされる瞬間、に立ち合った。

 

11/12 Zepp Sapporoにて行われた 「JFL presents LIVE FOR THE NEXT」。

ネクストジェネレーションをテーマに、アジカンと次世代のバンドが全国5ヶ所を回る。

 

札幌はASIAN KUNG-FU GENERATIONKANA-BOONのツーマン。こんなにアツい対戦カード、初めて見た。

 

 

 

KANA-BOONは結成した高校生当時、ほぼアジカンのコピバンだった。大好きなアジカンに似てしまわないようオリジナルを作るのにも苦労した。

優勝者はアジカンオープニングアクトを務められるというオーディションで優勝し、憧れのアジカンと同じレーベルでデビューする。

 

KANA-BOONアジカンと同じステージで共演するのは、オープニングアクトを務めて以来この日が2度目。

 

伝説のライブになるのはもう、間違いなかった。

そして実際、とんでもなかった。

 

 

 

前編ではKANA-BOONについてネタバレたっぷりでお届けします。

では。セトリ。

 

2016 11/12 セットリスト

1.2.step to you

なんでもねだり

机上、綴る、思想

A.oh!!

結晶星

ないものねだり

フルドライブ

Wake up

シルエット

 

オープニングアクトのプルモライト出演後、KANA-BOONが登場。

私は左の前から2列目、めしださんの真ん前に陣取っていたので、首を向ければ鮪さんが見え、古賀さんとこいちゃんはよく見えないという配置。

 

近くで観て初めて気づいたのは、いつもほんわかしてるめしださんが、演奏中だと色気出まくりなこと。マイナスイオンのかわりに色気が出るわ出るわ。振り乱されたボブの合間から時折覗く不敵な笑みにノックアウトされてしまった。不覚。

 

 

「北海道寒いね!でも北海道で今1番アツい場所はここじゃないですか?」 と鮪さん。

「今日札幌ドームでは嵐がコンサートやってるね。俺らが皆にとっての嵐になります!(笑)……まあ、俺らにとっての嵐はアジカンやけど(笑)」

 

客席からあがった「嵐よりかっこいいー!」との声を、「眼科行け(鮪)」「そういうの人前で言わないほうがいいで(めしだ)」 とばっさり一蹴してたのツボ。

「眼科」のアクセントが完全に関西のそれだったので、耳慣れない発音にざわつく道産子たち。

 

 

『机上、綴る、思想』の間奏。鮪さんはにやっと笑って 「芽生えてた感情 切って泣いて」と、『リライト』の一節を口ずさんだ。何そのニクイ演出!!ここで歌おうってずっと決めてたでしょ!!

 

その他にも、オーディション時に演奏した『A.oh!!』を披露したりと、今日のアジカンとのライブにどれだけ想いを込めてきたかがひしひし伝わってくる。

 

 

 

   キラキラと輝いているその姿が

   欲しいと願った欲望星

 

『結晶星』。バンドを始めた高校時代から、デビューして今日この日に至るまでの軌跡を想った。

 

   キラキラと輝いているその光を

   まとった僕らは結晶星

   未来をどうにか変えていこう

   僕らの何かの結晶で

 

オーディションから4年後、再び同じステージに立てるのも、KANA-BOONの努力の結晶でしかない。もし今ほど売れていなかったら2度と叶わなかったかもしれない夜をKANA-BOONは掴み取っていて、叶わなかったかもしれない夜に私たちはいて。

照明を受けてきらめく楽器、汗、お客さんが振りかざす手首に巻かれたラバーバンド。何もかもがキラキラ、していた。眩しかった。

 

 

「俺ね、メンバーにも言ってなかったことがあって」

ライブ終盤、鮪さんの言葉にお客さんだけでなくメンバーまでもざわつく。

「ゴッチさん(なんて呼んでたかうろ覚え)からDMが来て!『Wake up、いいね。売れるかはわかんないけど』って」

後輩を褒めつつ釘も刺しておくとこ素敵だなあ。それもDMで、ってとこが素敵だなあ。素敵な先輩だなあ!泣ける!

 

 

 

あっという間に最後の曲。鮪さん「ずっとアジカンの話しかしてないけど」 と、今日何度目かになる決意を語る。

アジカンはもう、好きなだけのバンドじゃなくて、勝ちたいバンドです。こうして一緒に演らせてもらえることは嬉しいけど、それだけじゃダメで。勝たないといけない」

 

ネクストジェネレーション。このライブのテーマが頭をよぎる。憧れの人に勝ちにいくと宣言するのはどれほど勇気がいっただろう。後を継ぐ、くらいの覚悟を込めて、KANA-BOONは今日のステージに挑んでいる。

 

「勝ちにいきます」

 

そして、『シルエット』。

 

かつてNARUTO主題歌だった『君という花』をこよなく愛した谷口少年は、やがてアジカンと同じレーベルでデビューし、同じくNARUTO主題歌を任されることになる。その曲こそが『シルエット』。

 

   大事にしたいもの 持って大人になるんだ

   どんな時も離さずに 守り続けよう

   そしたらいつの日にか

   何もかもを 笑えるさ

 

KANA-BOONアジカンコピーバンド と認識されるほど、アジカンばかり演奏していた高校時代。

その高校生が、いつかアジカンオープニングアクトを務めるなんて、いつかアジカンとツーマンを果たすなんて、誰が思っただろう。

 

どんな時も握りしめていた憧れが、この日、実を結んだ。憧れたシルエットを追いかけて追いかけて、ここまで来た。そして追い抜こうとしている。

 

絶賛・現在進行形の夢物語に、もうめちゃくちゃに感動した。心の中ではダダ泣きだったけど、圧倒されすぎて、泣き笑いみたいな変な顔をしていたと思う。

 

共演できる嬉しさを噛み締めて、それでも打ち負かす覚悟を持って、これがKANA-BOONだと見事に証明してみせた。すごくカッコよかった。濃密だった。

 

 

 

 

まだ余韻の色濃く残るステージ上、着々と楽器が入れ替わっていく。酸素の薄さにくらくらした。だけどへたばるわけにはいかなかった。次はいよいよアジカンなのだ。

 

後編ではいよいよアジカンレポをお届けします。あおでした。

 

何者

映画『何者』。

朝井リョウ原作の小説がとにかく好きで、同じく原作ファンの友達と観にいってきた。

 

そして、絶句した。

 

なんだこの居心地の悪い映画は?

 

 

 

 

「就活」という言葉がピックアップされがちだけど、この物語の本当のキーポイントは「SNS」、もっと言うと「Twitter」。

 

と言っても、SNSの恐ろしさに警鐘を鳴らすような物語ではない。就活やTwitterを通して生まれていく心の変化を、リアルに切り取っている。とにかくエグい。痛い。就活生じゃない私ですら、苦しい。

 

観ていたつもりが、「観られている」。

 

原作にもあったこの居心地の悪さ(これめちゃくちゃ褒めてます)が、そりゃもう最大限に出てる。決まりが悪い。モゾモゾする。

 

チャラチャラ能天気に生きてる人や、ふわふわお花畑な人には一生わからない話かもしれない。

それでも、Twitterに疎くても就活生じゃなくても、「現代」を戦う人ならグサッとやられると思う。心当たりのある人が観れば、切れ味の悪いナイフで刺されたような衝撃を受けるはず。

 

騙されたと思って、いっぺん刺されてみ?

 

 

以下、表現はなるべく濁しますが、ネタバレを含みます。見たくない方は回れ右。

 

 

 

______

 

 

 

冷静分析男子の拓人。お気楽なルームメイト、光太郎。まぶしいほどに実直な瑞月。意識高い系、理香。どこか斜に構えた隆良。

 

就職活動の荒波に揉まれていくなかで、5人はどのように変わっていくのか?切ない三角関係の行方は?……なんていう話では、ない。これは青春サクセスストーリーではない。人の死なないホラー映画だ。

 

拓人は、いつも周りを観察する。光太郎のバンド。付き合ってすぐ同棲し始めた理香と隆良。かつての演劇仲間である烏丸ギンジ。肩書きにまみれた理香の名刺。

ただ、黙ったまま冷ややかに眺める。拓人の目線を通して私たちは、うわあマジかよ、これはイタいわ、こんな人周りにいるいる!わかる!と共感する。それが罠なのも知らないで。

 

ところで一見協力しているように見えるこの5人は、互いを信用していない。プリンターがタダで使えるから、情報収集ができるから、対策を練りやすいから。目的をそれぞれに持って、就活のために利用しあう。

みんな、「こいつイタいな」と思っていて、言わない。話を流す、笑ってごまかす、席を立つ。そうして場を回そうとする。登場人物たちが本音を伏せて仲良さげに話しているところも、気持ちの悪いポイントのひとつだ。

 

 

 

過去の淡い恋心、くすぶっている苛立ち、就活をする理由。5人の思いが明かされていき、物語は着地点が見えないまま淡々と進んでいく。

そんななか、クライマックスは突然訪れる。

 

「あんた、私たちのこと笑ってるんでしょ?」

「あんたと一緒にしないで」

 

見下していた相手からの、思いもよらない言葉。拓人がひた隠しにしていたすべてが暴かれていくとき、私たち観客もまた、醜い心を暴かれる。

 

光太郎の要領のよさを憎み、理香の痛々しい必死さを嘲笑い、隆良の世間知らずさを馬鹿にし、醜さに歪んだその顔に、いきなり鏡を突きつけられたような衝撃。これほどまでに私は醜かったのか?弱かったのか?

 

理香の涙が、隆良のまっすぐな眼差しが、痛い。

 

誰かを観察して馬鹿にしていた自分こそ、いったい何者だったんだ?

 

 

 

冷静に周りを観察していたつもりが、実はすべて見抜かれていた。観客席にいたつもりが、いつの間にか舞台に上げられていた。嘲笑っていたものが実は鏡だったような、決まりの悪さ。気持ち悪さ。

そのことを象徴するようなあのシーンを、是非ともスクリーンで観てほしい。原作は知り尽くしていたのに、いや原作を知っていたからこそ、あの演出はゾクッとした。

 

 

と同時に、幕の下りたステージから駆けていく拓人の姿は、これまでの場所から次のステップへと進むことを暗示させる。

 

140字の中から出られなかった拓人は、ラストでついにその枠を越える。原作にはなかった最後のセリフに、打ち震えた。140字に留まらない拓人の思いは、SNSで発信する整えられた言葉よりもずっと、拓人の本質を表している。

 

 

ステージを降り、ずっと囚われていた140字の枠から飛び出した拓人は、その手で新たなドアを開ける。

 

『青春は終わった。人生が始まる。』

 

この映画に付けられたキャッチコピーが、ふっと頭に浮かび上がったとき、やられた、と思った。

なんなんだ。120点じゃん。キャスティング、音楽、原作のよさを最大限に引き出す演出、なにからなにまで最高だった。

 

とにかく居心地が悪く、気持ちの悪い映画だった。めちゃくちゃいい意味で。この先、いちばん好きな映画を聞かれたら、私は迷わず『何者』と答える。

 

 

 

光太郎のおちゃらけ大学生度合いが強すぎる原作も最高なので、映画を観た方はそちらもぜひ。

あおでした。