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鳴り止む

どんな音楽もいつか鳴り止む。

 

グッドモーニングアメリカの金廣さんが、ポリープ手術に伴い、3ヶ月間ライブ活動を休止するという。

 

ヒヤッとした。ポリープ自体も心配ではあるけれど、筋金入りのコブクロファンである私は 「活動休止」 という言葉に過剰反応してしまう。それはおいおい話すとして、グドモのブログを読んだとき、無理してでもライブ行っておけばよかったなあと心から思った。マイヘアのときも同じことを思った。

 

バイトと金欠が重なり、今回の全国ツアーは断念したのだけど、頑張れば休みはもらえたしお金もなんとかなった。「また今度でいいや」 と見送ったライブが、もしかしたらラストライブになるかもしれないのだ。

 

 

 

信じていた音楽が二度と鳴らなくなることなんて、掃いて捨てるほど、ある。

 

あまり聴いたことはなかったけど、Galileo Galilei や WHITE ASH が解散したときも、BOOM BOOM SATELLITES の川島さんが亡くなったときも、それなりにショックだった。SMAPに関してもまだ受け止めきれていない。

 

カラスは真っ白、というバンドの解散ライブに先日行った。近頃聴いていなかったのにも関わらず、解散はショックだった。インストアライブにもフリーライブにも行ったことはあるし、"フラゲ日にタワレコにCDを買いに行く" なんてことをしたのはカラスは真っ白が最初だった。

 

解散ライブツアーの千秋楽は、湿っぽい感じもなく、トリプルアンコールまできっちりやって終わった。MCでは腹の底から笑えたし、骨の髄まであたたまるようなアツいライブだったのに、明るい幕引きだったのに、どうしようもなく寂しかった。

 

千秋楽が行われた 札幌 Sound Lab mole というライブハウスには、フリーライブで来たことがある。「次はここにワンマンを見に来よう」 と思っていたその 「次」 が、解散ライブになってしまうなんて。

 

行こうと思えば機会はいくらでもあった。なんで行かなかったんだろう? ものすごく後悔した。終わりに立ち会えたことは幸せだけど、終わってしまうまで、どうして追い続けなかったんだろう?

 

 

 

 

「活動休止」「解散」 をこんなに怖いと思う原因は、私の愛してやまないコブクロにある。

 

コブクロは 『蕾』『流星』のヒットから一転、2011年に活動休止をする。小渕さんが喉の病気にかかったためだった。翌年には復帰を果たしているものの、最近になってようやくふたりは "充電期間" の心境を明かしている。

 

コブクロは、活動休止を発表した札幌でのライブを最後に、やめる覚悟でいたという。4年越しに知った事実に尋常じゃなく鳥肌が立った。休止どころか、コブクロそのものをやめるつもりでいたという。実際、やめようとさえ言えば簡単に終わる状況だったらしい。最終的には復帰に至るわけなのだけど。

 

大好きなアーティストが急に活動休止をして、復帰するどころかそのまま音楽自体をやめてしまったら?

 

 

休止中の心境を知って以来、そんなことを考えてしまう。

 

「また次でいいや」 と見送ったその 「次」 が、もう二度と来ないかもしれない。どんな形であれ、私の好きな音楽は、いつか鳴り止む。

 

鳴り止んでしまうその時に、後悔しないように。だからなるべく行けるライブには足を運びたい。歓声を、拍手を送りたい。一瞬一瞬を焼きつけておきたい。そう思う。

 

 

 

だからね、リア友に言いたいのは、バカみたいにチケット代に貢ぐ私の悪癖を許してくれよということ。「行きすぎじゃない?また来るんでしょ?」 と言われたって、そんなのわかんねえんだよ誰にも!

 

いまブログに書いたみたいな理由を語り散らしたらドン引かれると思って、「え~でもさ~ライブは私のライフワークだし~」 とヘラヘラ笑うことしかできない私を許してくれよ。ブログ見てないだろうけど。読まれてたらめちゃくちゃ嫌だけど。

 

あおでした。

 

サクラ

え、私、もう大学2年生になるのか。その事実にすごく驚いている。まもなくハタチですよ。お酒飲めちゃいますよ。ひえ~~。

 

この1年で、変わってないことを探すほうが難しい。強いていえば私の精神年齢は14歳くらいからずっと止まっている。まあそんなことが言いたいんじゃない。環境が変わるとなにもかも変わるよ。良くも悪くもね。

 

まずバイトを始めたこと。いちばん向いてないと思っていた接客業 (といってもコンビニ店員) を始めて、対人アレルギーはだいぶ薄まった。いまだに接客業は向いてないと思うけど、お客さん観察するの楽しいし。やり甲斐しかない。

 

バイトを始めたことで、ライブや旅行にたくさん行けるようになった。私のTwitterをフォローしている方は、ツイフィールを見ればわかると思うんだけど、そりゃもうライブ行きまくった。旅行も含めれば、この1年で東名阪ぜんぶ行った。全国ツアーかよ。

 

人間関係も変わった。中学や高校の友達とはたまにしか会えなくなり、LINEやTwitterで細々と生存確認をしている。正直さみしい。当然ながら大学の友達とよくつるむようになった。東京へも、大学の友達と赴いた。ただまあ、大学に入ったからといって彼氏はできない。

 

あと大きいのは、大学で好きな勉強だけをできるようになったこと。嫌いな体育も、苦手な数学も、やりたくなければやんなくていいし。得意分野しかなくて超絶楽しい。宿題キツいけどね。

 

 

ただ、自由になったぶん、甘えちゃいけないとは思う。授業サボって食堂でダベってようが勝手だけど、甘えたぶんの代償はきっちり自分で払わなきゃいけない。根がサボりたがりなので程よく手を抜きながら、でもきっちりやるべきことはやるように、自分を律するようにしてる。

 

 

今まで我慢しすぎてたのもあるけど、大学めちゃめちゃ楽しいです、私は。がんばってください。がんばりましょう、共に。勉強も、めいっぱい遊ぶことも、どっちも今しかできないと私は思ってる。だからきっちり真面目にやりつつ、然るべきとこで羽目を外したいのだ。両立しようぜ。

 

あおでした。

 

 

卒業

母校前のバス停から、続々と卒業式を終えた後輩たちが乗りこんできた。

 

口もとを覆い隠すチェックのマフラーと、コートの隙間からちらりと覗く、見慣れた制服のリボン。毎朝、学校行きたくないなあって思いながら3年間留め続けてきたリボン。私も、いま乗りこんできた後輩たちも、おそらくもう留めることのないリボン。

 

1年前は私もまだ高校生だったんだなあ。

 

去年の卒業式では1ミリも泣かなかった。特に思い入れはなかった。親友と離れることだけが悲しかったけど、いつも通りくだらない話をして、いつも通りに別れた。

 

早く卒業したいと思っていた。高校が好きではなかったというより、まあそれもあるけど、早く大学に行って好きな勉強をしたかった。だから考えていたよりなんの感慨もなくあっさり卒業できた。

 

ずーーっと前だけを見つめ続けてきたおかげで第一志望に合格することはできたけど、未来を待ち望むあまり、高校生活を楽しもうとしていなかったと思う。陰キャだったし。JKライフ無縁だったし。

 

あの頃の自分に、顔向けできるのかなあ。もしかしたら全力で楽しめたはずの3年間を食い潰して、やっとここまで来たのに。この1年何してた?頑張った?なにを?というか、頑張っても成果がなくちゃ意味なくない?打ち捨てたJKライフの代償がこれ?味気なくない?

 

 

これから地元を離れて東京に進学するという男子や、専門学校で彼氏ができるか色めき立つ女子の話を聞きながら、私は、1年前の私が思い描いていた自分に少しでも近づけたのかな、と苦い思いになった。

 

過去の自分に恥じない自分になりたい、初心や童心を忘れたくない。いつも心に留めていることだけど、ちゃんとできているかといえば、ノーだ。食い気味にノー。

 

やりたいことは無限にあるし、こんなとこでぬくぬく立ち止まってる場合じゃない。全速力でもまだ足りない。小さな幸せに目を向けられるような人でありたいけど、それだけで満足してるような人には絶対になりたくない。私はもっと飢えたい。

 

昔思い描いていた自分には全然足りないけど、卒業までにはもっとマシであれるように、浪費したJKライフが無駄にならないように、せめて春休みの間はしばらく足掻いていたいと思うのです。

 

大好きなライブもちょっとは我慢します。もう決まっちゃったやつは勘弁して。ひと段落するまでなるべく増やさないようにするから。

 

 

いきなり試験があるみたいで憂鬱だとか、春服をどのくらい買ったほうがいいのか、楽しそうに話している高校生たちの笑顔の奥に、「こんな時間もこれで最後だな」 という感情がどうしても透けて見えてしまって、もらいセンチメンタルしてしまった次第。卒業おめでとうございます。

 

あおでした。

 

これまでの、すべての日々に

All Our Yesterdays Tour 2017、略称AOYツアーがとうとう幕を開けましたね。

 

今回のツアー、高校時代の親友 (と私は思ってる) と参加します。彼女は特に音楽がなくても生きていける人種で、特に back number が好きというわけでもないと思うんだけど、連番快諾してくれて。しかもライブはこれが人生初みたい。

 

ぶっちゃけ私は、ひとりでもどこへでもライブ行けます。遠征もぼっちフェスも余裕です。連番も大好きだけど、好きなだけ暴れ倒せるぼっち参戦めっちゃ好き。

 

でも今回のツアーは、ぼっち参戦でも、もはや私のライブ友達と化している母を巻き込むでも、これまた何度もライブに連れ込んでいる邦ロック好きな友人を誘うでもなく、大してライブに興味のなさそうなあの子と絶対に行きたいと思った。絶対に。

 

ベストアルバム出した直後のツアーだから、セットリストが初心者にも優しそう (知らないから憶測だけど) ってのもある。だけどそれだけが理由じゃなくて。

 

 

 

 

高校時代、私にとって人生初ライブであるラブストーリーツアーに当選してはしゃぐ私を見て、「なんかわかんないけど良かったね」 と言ってくれたのは彼女だった。

「back number って何?バンド名?」 と疑問を浴びせてくるほかの友達と違って、知らないし興味ないけどなんか喜んでるからとりあえずおめでとう、みたいなスタンスが好きだった。

 

私がカラオケで入れた 『花束』『高嶺の花子さん』(その当時は全然知られていなかった) をいい曲だと言って、覚えて歌ってくれたのも彼女だ。

これは純粋にすごく嬉しかった。以降カラオケの度に歌ってくれるのも嬉しかった。

 

back number を見るためだけに、受験期にライジングサンぼっち参戦キメた私を笑い飛ばしてくれたのも彼女だった。

受験期、しかも真夜中の時間帯に、ぼっち参戦。内心では呆れていただろうに、なにも言わないでいてくれたことがありがたく思えた。

 

 

私の青くて苦い高校時代には、いつも back number の曲が寄り添っていて、それを夢中で聴く私の横には、いつも 「よくわかんないけど良かったね」 と興味なさそうな顔をした彼女がいた。

 

当時、back number の心が締めつけられるような歌に私は救われていて、今はまだ無名だけどほんとに凄いんだよ!と熱弁する私を見て 「良かったね」 と言ってくれる親友にもまた救われていた。

 

思い返せば、back number がゆるやかに流れていたこれまでの “すべての昨日たち” の中に、いつだって彼女は居てくれたのだった。

 

All Our Yesterdays Tour 2017、彼女と行く人生最初のライブが、また素晴らしい思い出になりますように。

 

あおでした。

 

 

(ところでこのブログ本人に見られてたら恥ずかしすぎて死にたいんだけど、万が一見ていたら、「もしかしてブログやってる?笑」って聞いてください、お願いします。親友へ。)

 

自分探しの旅、だと?

「新しい自分を探しに」 旅行する、とのたまう人種が私は苦手だ。

 

旅くらいで新しい自分は見つからない。ていうか見つかったことねーよ。物心つく前からあちこち旅して、いまではバイト代を旅費につぎ込んでいる私に言わせれば。

 

「新しい自分」 なんてものが鴨川のほとりに、スカイツリーの展望台に、アンコールワットに、エアーズロックに、無造作に転がっていると思う? 笑わせんな。

 

 

 

旅をすることで見えてくるものは、「自分のありのままの身の丈」 しかない。

 

 

いまの自分に足りないものを見つめなおせるのが、旅だ。計画性のなさ、語学力の未熟さ、そうした色々な甘さ。うまくいかなかった悔しさが未来の自分を育ててくれるということはよくある。

 

逆に、いままで知らなかった長所に出会えるかもしれない。眠っていたリーダーシップが急に目覚める、みたいなこともある。劇場版になったとたん頼もしさを発揮しだすジャイアンのように。

 

旅をするごとに、私は己の身の丈を知る。思ったよりひとりで何でもできるけど、ひとりだとすぐ迷子になること。時間管理が甘っちょろいこと。飛行機は得意だけどJRは苦手なこと。複数人で旅行をすると、いつもよりカリカリしてしまうこと。それと、私は心底旅行が好きだなあということ。旅行に携わる仕事もいいんじゃないかなあということ。

 

 

なかには旅先で出会った光景に感化されて、ひょいっと将来の夢を定める人もいるかもしれない。「決めた!フラダンサーで食べていく!」 みたいな。極端だけど。

 

でもそんなふうに、旅先で新しい自分を見い出せる人はひと握りだと思う。私が旅行に関係する仕事もいいなあとぼんやり思ったのは、旅を通してありのままの自分を見つめた結果だ。

 

夢が、スクランブル交差点にいきなり落ちていたわけじゃない。ずっと握りしめていた地図帳のなかに、これまで見落としていた小さな町に気づいただけ。っていえば伝わるかなあ。

 

新しい自分を見つけるためだけに旅に出るという行為は、とんでもなく燃費が悪い。旅は、新しい自分を見つけるためのものじゃなく、初めから持っていた自分にふと気づかされるものだと思う。

 

良い旅を。あおでした。

「女々しさ」 を武器にする 「強さ」

 

back number?あの女子中高生に人気の女々しいバンドでしょ?と思っているあなた。大正解です。

 

ボーカル・清水依与吏 (しみずいより) 氏の作る曲は、そりゃもう女々しい。そこまで言う?ってことまで歌にしちゃう。

 

でも。確かに女々しいけど、女々しさを武器にできる強さが、back numberには備わっていると思うのです。依与吏さんは女々しいけど、弱っちい男じゃないんだよ。ってことを、いちback numberファンとして訴えたい。

 

 

 

たとえば、男子高校生の淡い恋心を歌う『ハイスクールガール』という曲。

 

   ああ明日になったら 君が彼女になってないかな

   そうしたらもう何もいらないのにな

   君がいないとたぶん死んじゃうんだよ

   目の前にいなければこんな簡単に言えるのになぁ

 

女々しさ全開フルスロットル。ある女の子のことが好きでたまらないのに、脈がないから告白する勇気もなく、悩み抜いた挙句 「どうしようどうしよう ああなんか眠くなってきた」 とか言い出す始末。がんばれよ少年!!!

 

これだけで終わるなら、アプローチもせずただ好いてもらおうと思っている、考えナシな男子高校生の戯言です。1番最後の歌詞は、こうなっています。

 

   この想いが早く溢れ出してしまえばいいのに

   間違えて口が滑っちゃえばいいのになぁ

 

お分かりでしょうか。この主人公は、ただ何も考えず 「あの子が彼女になってくんないかな~~」 ってバカみたいに嘆いてたわけじゃありません。明日になったって君が彼女になってるはずないことも、想っているだけじゃ何も変わらないことも、おそらく脈がないことも、全部わかったうえで嘆いてるんです。

 

間違えて口が滑っちゃえばいいのになぁ」 と最後に付け加える少年は、間違っても自分の口が滑らないことを、ちゃんとわかってます。どうにもならないから嘆くしかないのです。はい、女々しい自覚アリアリです。

 

 

 

依与吏さんは、自分にひそむ 「女々しさ」 を自覚したうえで、それを客観的に見て、さらに共感のできる名曲に落とし込む 「強さ」 を持っています。

 

女々しいけど、弱っちくなんかない。自分の弱さをさらけ出せる人って、めちゃくちゃ強いと思うんですよ。ましてや弱い部分を売りにするなんて、ものすごいことやってる。

 

女々しさをブランド化して切り売りしてる。しかもバカ売れ。「自分の弱みを商品にしてください」 って言われて、成功させることのできる人がどれだけいるだろうか。

 

そこそこヒットしてきた時期に『ネタンデルタール人』なんて歌を出すのも、相当度胸がないとできないと思います。「僕も天才ってチヤホヤされたいのに」 「オシャレ!大好き!って言われたいのに」 なんて思ってても普通言えない。売れないインディーズバンドのミニアルバムに入ってそうなのを、依与吏さんはCMソングのカップリングに持ってきちゃう。とんだ度胸。

 

 

 

ではもうひとつ。『高嶺の花子さん』の歌詞を、改めておさらいしてみましょう。

 

   会いたいんだ

   今すぐその角から 飛び出してきてくれないか

 

おいおいおい?この主人公、「会いたいんだ」 なんて男前なこと言うと思いきや、「角から飛び出してきてくれないか」 ですよ。どんだけ古典的。会いたきゃLINEしろ。

 

とはいえ私も消極的な人間ですから、気持ちはわかります。相手は超絶キレイなうえに、友達の友達という微妙な関係。連絡をとる口実がない、あるいは連絡先を知らない可能性すらあります。会いたいなんて、心の中でしか言えないわけです。

 

この主人公は 「君を惚れさせる黒魔術は知らないし 海に誘う勇気も 車もない」 のに、「でも見たい となりで目覚めて おはようと笑う君を」 なんてひと足飛びに言っちゃいます。朝に隣にいる関係って……。その妄想ちょっと待った。

 

ただ、こんな言葉が出てきますね。

 

   偶然と夏の魔法とやらの力で 僕のものに

   なるわけないか

 

君がいきなり角から飛び出してこないことも、朝を共に過ごせないことも、僕のものにならないことも、ぜーーーんぶわかってるんです。彼氏の有無や好きなアイスの味は知らなくても、それはちゃんと知ってます。大体タイトルからして 『高嶺の花子さん』です。間違っても手の届かない高嶺の花を好きになっちゃった、てなもんです。

 

僕のものになるわけはない。そのことを前提に置き、それでも好きだってことを5、6分かけて歌いきってる。客観的に自分の女々しさを見つめ、ヒットチューンに落とし込める依与吏さんはなんて強いんだろうか。

 

 

 

たまに有線で、俺たちは別れてしまうけどお前をずっと愛してたぜ、的な歌を耳にします。おそらく振られてるくせに、酔いしれて美談にすり替えようとしていて、しかもそのことに気づいていません。自覚症状がないぶん、そっちのほうがよっぽど女々しいし弱っちいなと思うのです。

 

back numberにも別れたあとの歌は多いけれど、依与吏さんは過去を美化しない。好きだったんだよってうだうだ引きずりながら、でもちゃんと前を向かないといけないことをやっぱり知っている。「それに今君を考えているのだって 引きずっていれば削れてなくなるって計算の上さ」 なんて『あとのうた』で言ってたりします。

 

 

女々しさだって、立派な武器になる。自分が甘ったれてるとも知らずにカッコつける人より、カッコ悪さをさらけ出して商品として売り出せる依与吏さんのほうが、何百倍もカッコよくないですか。back numberは強い。強いよ。女々しいけどね。

 

女々しい女々しいってさんざん言ってきましたが、『SISTER』のように力強く背中を押してくれる曲もあるので、よかったら聴いてみてください。

 

ちなみに私は依与吏さんよりもベースの和也さんが好きです。あおでした。

合格体験記ではありません

もうすぐセンター試験ですね。去年の大学受験の話でも書こうかと思います。

キラキラした合格体験記、ではありません。ハッピーエンドではあったけど、トントン拍子ではなかった受験のお話。

 

 

高1なりたての頃から、行きたい大学を決め打ちしていた。興味のある学科だし、家から近いし、ランク高くもないから楽してするっと合格出来そうだなと思っていた。

 

でも、模試のたびに出続けるA判定を見るたび、こんなんでいいのかな、と思うようになった。何も頑張らずに受かったらつまんねえな、私の人生そんなイージーモードでいいのかな。やがて、それが高い学費を払ってまで本当に学びたいことなのかも分からなくなった。

 

高2の夏。ほんの気まぐれで、受かるはずもないと考えていた大学の名前を、模試の志望校の欄に書いてみた。高校に出張で来てくれた講義がわりと面白かったのを思い出してのことだった、のだけど。

 

ほぼA判定に近いB判定を叩き出してしまった。

 

こんなぺーぺーには受ける資格もないと、ハナから考えていなかった所だった。奇跡的にめちゃめちゃ良かった模試だけど、まぐれだけど、もしかしたら手が届くんじゃないか……?

 

改めて資料を取り寄せ、オープンキャンパスに行き、悩み抜いた末に私は、「ここしかない」 と確信した。小さな頃から好きだったこと、今興味があること、少しやってみたいと思っていたこと、すべて学ぶことのできる場所。絶対にここしかなかった。

 

進路変更すると、受験科目が微妙に変わる。さほど得意ではない英語をみっちり勉強する必要があった。中学英語から着手し、基礎を叩き込む必要があった。文法書、単語帳、いくつかの参考書と問題集、すべて3周ずつやると決めて、洗いざらい復習していった。

 

受験勉強?何から手つけていいかわかんない(笑) と遊び呆けている友達に隠れて、be動詞がどうとか疑問形がどうとか、めちゃめちゃ基礎の勉強をするのはほんとバカらしかった。けど、地頭の良くない私がのし上がるにはそんな泥臭い方法しかなかった。

 

友達は時に足枷になった。1人だけムダな努力をしている気がして、基礎でもがいてるなんてバカらしくて、こんなに頑張って受からなかったらどうしようと打ち明けることも出来ないで、本当に苦しかった。やる気のないクラスメイトも、足を引っ張ってくる友達も、弱っちい自分さえも敵だと思った。

 

血のにじむ思いで身につけたモノを 「あおは頭いいから」 の一言で片付けられること、まだ合格点に届かない焦りがあるのに「お前は受かるよ」と先生方が言ってくれること、周りが受かると信じきってくれていること、全部しんどかった。期待を裏切りたくなかったし、心配されてたまるかと思っていたので、わざと大口を叩いたりしてみせていた。自分で自分の首を絞める思いだった。苦しかった。

 

高3の夏に差しかかり、センターの過去問をひたすら解きまくった。合格点どころかヒドい点しか取れなかった。笑い飛ばせもしないような点数を更新するために、過去問や赤本も3周ずつこなすと決めた。バツだらけの解答用紙を見るたび、このままでは届かないのだと現実を叩きつけられた気がして、ただひたすら辛かった。

 

それでも腐らずやっていけたのは、親にも友達にも言えない思いをぶつけられる、音楽という拠り所があったからだと思う。back numberのSISTERや青い春を聴けば、何度だって気合いを入れ直せた。友達と過ごしていても笑うことができなくなった時、Mr.Childrenの花、[Alexandros]のstarrrrrrrを聴いた。

 

転機になったのは、コブクロの奇跡という曲。最初私は、一般受験でボーダーに引っかかればいいほうだと思っていた。だけど奇跡ツアーに参加して、この曲をふたりが歌ってくれた時に心変わりした。

 

受かったらいいな、じゃない。受かる。一般引っかかればいいな、じゃない。なんならセンターだって受かる。今からなら遅くない。地頭良くないし英語得意じゃないけど、努力の積み重ねで奇跡が起こせることを証明する。

 

強くそう思った。夏休みの間ひたすら過去問を解きまくっても、合格ボーダーどころか平均点にすら届かなかった。辛かった。でも信じていた。奇跡を起こせるかもしれないという根拠のない自信が不安を上回った。

 

過去問と並行して基礎の復習、発展的な学習、別教科の仕上げにも力を入れた。秋を過ぎ、冬が訪れようとする頃、めきめきと点数が伸びはじめた。模試はいまいちだったけど、過去問の点数はどんどん上がっていった。

 

バカみたいにしつこく復習した基礎の基礎が、がっちり土台になっている実感があった。過去問をしつこく解いたおかげで長文読解のパターンも身についた。あんなに伸び悩んでいたことが嘘のように、何度も繰り返したことが身についていた。無謀だと思われたセンターの合格ラインに、いつの間にか届くようになっていた。

 

そして受験。

 

最初は一般ですら怪しかった第一志望に、センター&一般共に滑り止めなしでストレート合格した。大逆転劇。

 

結果だけ見るとなんだよコイツって感じだけど、特にドラマはなかった。精神的にギリギリまで追い詰められながら、ひたすらやるべき事をやっただけの地道な日々だった。参考書を山と積み上げ、邦ロックをガンガン聴きながらミルクティーを啜っていた当時のことを思い出すと、今でもちょっと具合が悪くなる。

 

努力は必ず報われるとか、支えてくれた人たちのお陰とか、合格体験記にありがちな綺麗事を言うつもりはない。環境はあまり良くなかったし、どこかで心折れていたらおしまいだった。諦めなかった私の粘り勝ち、それだけだ。要領も頭も良くない私がのし上がるにはそれしかなかった。

 

あんなに苦しんでよかったと今では思う。そもそも周りとは出来が違うからついていけないこともあるし、遊ぶどころか寝る暇がない時もあるけど、この場所を手に入れられたことが心から幸せだと思うのだ。散々苦労して見つけた居場所、そう簡単に手放してなんかやらない。誰にもあげない。

 

さて、センター試験ですね。これまで積み上げてきた努力のすべてが、どうか奇跡を起こしますように。がんばれ。もうがんばってるだろうけど、最後の最後までやり切るに越したことはない。応援してます。楽しんでこい。

 

あおでした。